6月26日 vol.1              

 

 ――東京・獅堂家

  「光さん、これお願いしていいかしら」

 朝食の用意を手伝う光に、小さなお盆が渡された。

 「はい」

 零さぬように静々と廊下を行き、その部屋の襖を開ける。中へ入り、そっとひざまずきお盆を置くと、膝立ちのまま

黒檀の扉を開いた。背筋を伸ばして正座をし、両手を合わせて瞑目しつつ、光は呟いた。

 「おはようございます」

 金色の仏飯器(ぶっぱんき)によそわれた炊きたてのご飯や、白い茶湯器(ちゃとうき)のお茶を供え、蝋燭に火を点し

お線香をたて、もう一度手を合わせた。あまり記憶にない祖父母らの写真とともに、光が一番親しんだものの写真も

そこに飾られている。その写真立てを手に取って、光はそっと撫でていた。

 「閃光、おはよう」

 光の大学受験直前に逝ってしまったから、かれこれもう四年以上になる。最後の春、お散歩コースの満開の桜並木の

下で写したその姿は、光の脳裡にいまも鮮やかに生きていた。

 「うちに来て、幸せだった…?」

 大型犬としては長く生きたほうだとかかりつけの獣医は言ってくれたが、それだけでは片付けられないしこりが光の

中にはあった。あの時、野犬にやられたりしなければもう少し存(ながら)えたのではないかと、何度も何度もその場に

いた自分を責めた。

 自己嫌悪と自己否定との連鎖から、受験勉強も手につかないほど落ち込んでいた光を救い出したのはランティス

だった。東京に来ることの叶わない身なのに、傷ついてうずくまったまま身動きの取れなくなった光を気遣い、無理を

押して心ひとつでここまで来てしまった人。

 泣き伏していても、閃光は二度と戻らない。後悔して自分を責めるばかりでは、何も生まれないし何処へも進めない。

受験を目前に控え無為に過ごせる時間のなかった光を立ち上がらせ、いまはただ前へ進めと背中を押し、他のことが

見えなくなっていた光の代わりに、彼女が目指していたはずの場所を指し示してくれた人。

 あれは「おつきあい」を始めて一年ぐらいの頃だったが、結婚前提の風たちと違って、光とランティスとの間には何の

約束があった訳でもなかった。それでも光の為に生命を賭けることさえ厭わなかったこの人となら、家族から遠く離れた

世界でもきっと生きていけると、光が心を決めるきっかけにもなった。(もっとも「あんまり無茶しないで」と釘を刺すことも、

光は忘れていなかったけれど)

 そのランティスの許に、もうじき嫁いでいく。

 「ヒカルはいつでも前向きだな」

 ランティスはよくそう言うが、光から見れば彼のほうがずっと前向きだと思えた。ランティスのほうこそ光とは比べものに

ならないほど長い間、見つかるあてなどほとんどない答を探し続けていたのだから。そして彼の望みは叶わず、その望みを

打ち砕いた魔法騎士を赦し、セフィーロの新しい在り方を願った光を支え続けている。いつでもランティスはずっと遠くまで

見遥かしているようで、そばにいていつか同じ場所を見たいと光は希っていた。

 閃光の写真を手に物思いに耽っている光の様子を、廊下を通り掛かった覚が穏やかに見守っていた。

 

 

 寝間でお粥という状態を脱していた三兄弟は、普段はありえないパジャマ姿で朝食を済ませた。三人に白湯を用意

すると、お茶碗などを片付けながら光は兄たちにきっちりと念押しした。

 「お薬飲んだらちゃんと寝てね、兄様たち」

 「もう寝飽きた」

 「寝てるばっかりも腰が痛いしね」

 不満たらたらな翔と優に、両腰に拳を当てた光が軽く睨んだ。

 「ダメだよ!治りかけが肝心なんだから。第一、病原菌ばらまきに出るなんて、以っての外だからね!」

 粉薬を白湯で飲み下した覚が、一枚のプリントアウトを光に差し出した。

 「行ってきたらどうだい?向こうへ行ったら、なかなか機会もないだろう」

 「覚兄様…」

 ホームページから出力したそれは、とある場所へのアクセスマップだった。

 「でも、その為にこっちに残ってる訳じゃないし…」

 「心配しなくても、僕たちはおとなしく寝てるから、行っておいで」

 「光さんがいらしたから、ずいぶん楽になりましたもの。行ってらっしゃい」

 「…じゃあ、ちょっとだけ出掛けてくるね」

 

 

 

 電車を乗り継いでやってきたシンプルな紺色のワンピース姿の光は駅前のアーケード街で花を買うと、送迎の

シャトルバスに乗り込んだ。

 「一人で来るのは初めてだな…」

 年に三回家族で訪れる獅堂家は比較的まめなほうなのだろう。係の人が光を見覚えていた。

 「あら、この時期にお見えになるのはお珍しいですね。それもお一人でなんて」

 「こんにちは。ちょっと遠くへ行くことになってるんで、来られるうちにと思って…」

 「ご結婚ですか?」

 「ええっ!?どうして判ったんですか?!」

 自分はそんなにもデレデレとやに下がった顔で歩いてたんだろうかと、光は頬が赤くなるのを感じた。そんな光に

クスリと笑いながら、その女性は答えた。

 「左の薬指に指輪をなさってるから」

 「あ…」

 二十歳の誕生日の翌日にランティスにもらったセフィーロの空色の、というよりランティスの瞳の蒼をとどめた石が、

梅雨の合間の陽射しにきらめいていた。

 「おめでとうございます。お偉いですね。なかなかそういうご報告に来られるかたはいらっしゃらないんですよ」

 「そ、そうなんですか?」

 顔も記憶にない祖父母や御先祖≪以外≫に報告に来たのだとは、とても言い出せない光だった。

 

 撥水性の高い黒のエプロンと手桶を借りて、あまり人気もない霊園内をゆっくりと歩く。獅堂家の菩提寺は由緒

正しいわりには比較的捌けていて、昨今の少子核家族化の流れから増えつつある、『ペットも一緒に』という要望に

応えていた。

 まずは先祖代々のお墓を綺麗にし、花を供え、手を合わせた。考えてみればお彼岸の頃にはまだ優たちが大反対

していたから、これが正式な結婚報告になった。とは言え一番最後の祖母でも光が三歳にもならない頃に亡くなって

いるので、写真でしか知らない人にどう話しかけていいものやらいまひとつ判らなかった。

 同じ区画内に設けられたまだ新しい石碑も、丁寧に清めて花を手向けた。物心がついた頃から、嬉しいときも悲しい時も

いつも一番近くに居てくれた閃光。理屈では解っていたはずだけれど、さよならをするいつかなんて永遠に来ないとさえ

思っていた。光がただ、そう望んでいただけなのかもしれないが。

 「閃光…。私、お嫁に行くんだ。ちょっと遠いところだから、いままでみたいに来られなくなるかもしれない。ごめんね…」

 そのとき、吹き抜ける風がさぁぁぁぁっと新緑を揺らしていった。

 「ランティスっていう人なんだ。黒髪で、この指輪みたいな蒼い瞳で、すっごく背が高くて…。剣の腕は、覚兄様より

上だと思う。いつでも私のことを護ってくれて……、ちょっと閃光に似てるかも知れないよ?」

 そう言って光はくすくすと思い出し笑いをしていた。

 『動物に喩えるなら、ランティスって絶対大型犬だと思うわ。それもコリーやラブラドールみたいなフレンドリーなヤツ

じゃなくて、ドーベルマンとかドイツシェパードとかの無愛想威圧系!!』

 仮にも親友の想い人をつかまえて身も蓋もない海の酷評っぷりだが、ついつい笑ってしまうあたり、光の人がよすぎる

のか、はたまたあたらずといえども遠からじと思っているからなのか…。

 

 

 さわさわとそよぐ木の葉の影や、遥か遠くに流れる雲の形に懐かしい姿を重ねながら、光は愛(め)ぐしものに暇(いとま)

告げていた。

 

 

 

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とりあえず光ちゃんの分だけ間に合ったんでup

ランティスのほうはまた書けたらってことで。。。

似たもの同士ですから、たぶん同じようなことしてるんじゃないかと

……とかいいつつ19時過ぎにはupしちゃってるし

どれだけやっつけで書いてるかな > 私

 

                                           

                

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