6月25日 vol.3             

 

 まだ幼かった自分がきちんと「メルツェーデス」と言えずに「メル」と呼ぶことになったことは、ランティスも記憶して

いたので、導師の思い出し笑いに咳払いをひとつする。

 「…メルツェーデスの消息が、判ったのですか?」

 執務机の書類の束をひとつかみ持ってきて、クレフがランティスに差し出した。

 「ここしばらくはオートザムに居たらしい」

 オートザムならエメロード姫の親衛隊長を辞した(といってもきちんと辞任した訳ではなかったが)後、旅した中でも

ランティスが一番長く滞在していた場所。それなのに、メルツェーデスの気配など欠片ほども感じたことはなかった。

 「しかし、導師――」

 言いたいことは判っているという風に、クレフは軽く挙げた手のひらをランティスのほうに向けた。

 「ずっと昏睡状態だったんだそうだ。そこに居ると判って呼びかけても、気配を拾えたかどうかは怪しい。セフィーロで

昏睡状態にあったイーグルのときとは違うからな」

 クレフに渡されたオートザム大統領からの書簡に手早く目を通すランティス。首都から遥か北にあるノマドというところ

(オートザム滞在中のランティスでも行ったことがない、最果ての地)で環境浄化に関わる魔法の研究をしていた

『らしい』こと、病に倒れ深い昏睡状態のまま手厚く看護されていること、代々の大統領(ほぼ世襲できているので

イーグルの家系だ)が申し送りを続けてきたことなどがしたためられていた。オートザムの人間の寿命は、地球人と

そう変わらない。何代前だか判らない大統領(先祖)が善意で引き受けた一人の病人ことを、イーグルやその両親で

ある現大統領夫妻が把握しきれていなかったのも無理はない。

 「先日、一時的に意識が戻って、『セフィーロのクレフに…』とだけ呟いて、また昏睡状態に陥ったらしい。その後、

状態が悪化していて、オートザムの医療技術を以ってしてもあとひと月は持たないだろうという話だ…」

 メルツェーデスがセフィーロから姿を消したとき、彼が別れを告げたのはランティスだけと知ったのは翌日になってから

のことだった。魔法剣をまだ未熟なランティスに託していったことにも驚きを隠せないようだったが、「どうせなら一人前の

魔法剣士になるまで面倒見れば良いものを…。まぁ、気まぐれなあの人にしては、結構根気よくお前達に付き合って

いたほうか。いつかまた、ふらりと現れるんだろう」などと苦笑いして、クレフは一人納得していた。けれどそのいつかは、

もう永遠に来ないかもしれない――。

 

 「導師、オートザムに行かれるのなら、俺にも同行させて下さい」

 すぐにも行動に移しそうなランティスを、「ちょっと待て」とクレフが押しとどめる。

 「いまごろお前がセフィーロを留守にしてどうする。聖職者役の私の代理は立てられても、花婿の代理を立てる訳には

いかんのだ。三国の関係者にも招待状を送っている。いまさら延期も出来まい?」

 地球の家族にも認められ一足早く結婚を決めた風を祝いながら、「私も早く兄様達(主に下の二人)を説得しなくちゃ」

と、地球には行けないランティスの分も頑張っていた光。あまりに強固に反対する優と翔と大喧嘩になり、「ちっとも話を

聞いてくれないから、もう駆け落ちして来ちゃっていいかな?!」と自棄気味になっていた光。ランティスとしてはそれでも

一向に構わなかったが、のちのち里帰りがしづらくなっては可哀想だと、大人の顔をして光を説き伏せた。そうして

一人で奮闘してきた光が「やっと兄様達が許してくれたよ!」と、ランティスの胸で嬉し涙に濡れていたのは、ふた月

ちょっと前のこと。

 王子と風の結婚式のときは、セフィーロ初、それも王族がらみのこととあって、光達三人娘がフル回転で準備に

駆け回っていた。彼等の結婚式はそれほど大袈裟にはならないにしても、ここのところ仕事がかなり忙しくなって

なかなかセフィーロにも来られない海や風に頼ることなく、ほとんど光一人で準備を取り仕切ってきたのだ。それでも

物分かりが良過ぎるぐらいに良い光のこと、事情を知ってしまえば、きっと笑ってランティスをオートザムへと送り出す

だろう…。あれこれ思いを巡らせているランティスにクレフが問いかけた。

 「お前は新婚旅行とやらで、ヒカルとオートザムに行く予定だったな?」

 「公式訪問というと大仰しいことになるので、内々に大統領夫妻から呼び出されました。ヒカルも行ってみたいと言うし…」

 

 オートザム滞在中に世話になった大統領夫妻に、いずれ光を紹介することもあるだろうとは考えていたが、先日の

内輪のお茶会の席でオートザムへ新婚旅行に行くのだと光が話したところ、海や風には相当呆れられてしまっていた。

 「光達がイーグルと仲がよいのは判ってるけど、新婚旅行って風光明媚なところへ行くものでしょうが!?多少

ブレーキがかかってきたとは言え、他国を侵略しなきゃならないほど環境汚染で切羽詰ってたとこに行くなんて、

社会科見学ですることよっ!!」

 「外交上そこまで断言してしまうのは如何なものかと思いますけれど、あまりお勧めだとは…」

 「風ちゃん達は新婚旅行兼ねてファーレンに公式訪問に行ったでしょう?」

 「確かに参りましたわ…。ファーレンは皇国ですから、新生セフィーロの参考にもなりますし」

 (同じように王政を敷いていても、国内的には第四夫人までが認められているチゼータ訪問は、風としてはちょっと

遠慮したかったらしい)

 「海ちゃんなら、どこに行く?」

 姉兄のいる風や光と違い、一人娘の海はまだ結婚する踏ん切りすらついていないのに、新婚旅行先まで聞かれても

困るというものだ。

 「風がファーレンに行ってるし、オートザムはアレだし…そうなるとチゼータ?」

 ほらね!とばかりに、光がニッコリ笑う。

 「じゃ、やっぱりオートザムとの友好担当はランティスと私で決まりだ」

 どうやら海や風の考える新婚旅行の定義と光のそれでは随分と隔たりがあるようにも思われたが、光が望んでいる

のなら、ランティスにとって行き先などどこでもよかった。(たとえそこでイーグル親子にからかわれることが、火を見るより

明らかだとしても…)

 

 「非公式であるなら、なおさら好都合だ。せっかくの新婚旅行中にすまないとは思うが、私の代わりにメルの元を訪ねてくれんか」

 「導師は、お逢いにはならないと――?」

 夕闇が迫ってきた窓の外を見遣りながら、深い溜息とともにクレフがこたえた。

 「この時季、私までセフィーロを離れるのは、あまり望ましいとは言えんだろう」

 「…確かに」

 エメロード姫亡き後の柱となった光が望んだ「喜びも苦しみも 分かち合い背おい合い 共に未来を築いていく世界」は、

これまで柱一人に頼りきりだった人々にとって容易なものではなかった。永遠に続くはずの常春の世界が崩れ、

いつしか光達の住む日本のような四季を呈し始めていた。環境の変化に国中が戸惑い、ことに光達が梅雨と呼ぶ

来る日も来る日も雨の降り続ける時季や、凍てつくように寒い真冬などは、「この世の終わりのよう」と不安がる人々が

まだまだ多かった。そうして不安定になった心は、このセフィーロでは魔物へと姿を変えてしまう。今は梅雨なので、

ランティスの仕事も真冬と並んで他の季節より忙しいのは、光にも十分判っているはずだった。しかも兄達の許しを

得てからわずか三ヶ月足らず、あわただしくなるのも承知の上で、どうしてもこの時季に結婚式を挙げたいのだと、

彼女にはめずらしいわがままを言った。旅行で不在になるのはせいぜい7日ほどだし、その間ぐらいなら、ラファーガや

フェリオ、クレフに師事して魔法の上達も著しいアスコットに魔物退治を任せておいても構わないだろうと思っていたが、

ここでクレフまでセフィーロを離れるとなると、いっそう不安を募らせる者が増えるのは目に見えていた。

 「それに私が動けば、どうしても大事になる。オートザム側としてもそれは出来れば避けたいらしい」

 環境破壊に歯止めがかかりつつあるものの、好転したとは言い難く、セフィーロを筆頭にチゼータ、ファーレンの協力も

得ている環境浄化プロジェクトの進捗状況は遅々たるものだった。そんな中で環境浄化魔法の研究をしていた『らしい』

メルツェーデスのところへ、セフィーロ最高の魔導師クレフが出向いたとあっては過度の期待をするものも居るだろう。

過度の期待は叶えられなかったときの落胆もまた大きい。それに加えて、「セフィーロと停戦せずに柱を奪っておけば…」

などとという不穏分子が今も存在するらしいことを考慮すれば、ランティスとしてもクレフを行かせる訳にはいかない。

オートザムの人間のどの程度までが光=セフィーロ最後の柱と知っているかは判らないが、公式訪問となればあちこち

顔出しせざるを得なくなるクレフと、こんな状況ではあまり表舞台に出ないほうが望ましい光の双方を一人で守るなどと

言い出すほどランティスも自惚れてはいなかった。

 「判りました。俺一人でメルに逢いに行きます。ヒカルは…首都に置いていっても構いませんね?」

 「そうだな。そのほうがいいだろう。…すまない」

 ふたたび詫びるクレフに、ランティスは強い意志のこもった青い瞳を向けた。

 「旅行の途中で、昔の恩人の見舞いに行くだけです。それでは…」

 導師の元を辞そうと木箱を手に立ち上がったランティスを見上げて、クレフが念押しする。

 「ヒカルが戻ったら、それを持ってプレセアのところに必ず行け。プレセアには他の何より優先するように伝えておく」

 「はい。導師、さっきの書簡をお借りしてもよろしいですか?」

 「ああ、構わん。実際に出向くお前が現状を把握しているほうがいいからな」

 オートザムからの書簡を受け取ると、ランティスはクレフの部屋を後にした。

 

 

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ノマド…オートザム首都より遥か北の地。名前はスズキ エスクード・ノマドから

イーグルの父が大統領というのは公式ですが、世襲できてるというのはなんとなく

「ほえほえ〜っ」とした育ちのよさそうな感じから。

風がファーレンに公式訪問云々というのは、

アスカとの交流があったのはアニメのほうだった

というのを失念してたせいです

(なのでチゼータに行かない訳を捻り出しました・汗)

ファーレンにだって後宮があるかもしれませんよね(;^_^

                                        

 

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