6月24日 vol.1      

      

 

――セフィーロ城・ランティスの部屋

 昨夜は見回りに出ると言っていたし、まだ帰っていないかもと思いつつここまで来たが、やはり部屋の主は不在だった。

婚約者として、というよりそんなきっちりとした約束をする以前から、ランティスの不在中でも入室を許されていたので、

光は少し待ってみようと部屋に入る。日帰りで実家に顔出しすることは事前に伝えてあるのだが、やはりランティスが

無事に帰ったことを確かめなければ落ち着かなかった。窓辺に歩み寄りカーテンを開けてみるが、外は雨模様で陽射し

らしい陽射しは入らない。

 「よく降るなぁ…。ホントに梅雨みたいだ」

 エメロード姫が治めていた頃のセフィーロは常春の穏やかな気候だったという。雨さえも必要なときに必要なだけしか

降らなかったおとぎの国。魔法騎士が招喚された頃にはもうそれは崩れてきていたので、光達には窺い知れない、

またどこか別の世界の話のようにも思える。自分達には違和感が無さすぎてなかなか気づけなかった、セフィーロの

「四季の移ろい」…光達が住む日本と変わらない季節の移り変わりはいったいいつから生じていたのだろうと、ふとした

拍子に光は考え込んでしまう。

 「私がよく知ってる日本と、同じ季節…。――そんなはずは、ないよね――?」

 とりとめもないことを思い巡らしつつ外を眺めていると、遠くに黒い馬に似た精獣で空駆ける待ち人の姿が見えてきた。

その変わりない様子に光は安堵の笑みを浮かべる。ずぶ濡れで戻ってくるランティスの為に、チェストから着替えや

タオルを取り出しベッドの上に並べて、温かいお茶の用意にかかる。

  「身体が暖まるし、ジンジャーティーでいいかな…」

  その言葉から判るように、光が用意するお茶は地球のものだ。ランティスの部屋の小振りなダイニングボードには、

光が地球から持ち込んだ茶器があれこれ並んでいる。もちろんセフィーロの茶器一式もあるのだが、これは淹れるのに

少しコツが必要で、光はまだ使いこなせておらず出番がなかった。新婚旅行から帰って落ち着いたら、プレセアに

きちんと教わる約束だ。セフィーロで暮らしていく上でのほとんどのことはランティスが教えてくれるのだが、これに

関してはまるっきり頼れなかった…。セフィーロの人々にしろ、交流ある三国の人々にしろ、みなお茶をするのが大好きで、

慣れているだけに淹れるのもたいてい上手い。それなのにランティスの淹れるお茶ときたら、味にうるさいイーグルには

「壊滅的な不味さ」とまで酷評されていた。光も口にしたことはあるが、「壊滅的」は言い過ぎにしても、導師クレフの

薬湯に匹敵する激ニガの代物だった。茶葉の量もお湯の量もかける時間も皆と変わらないのに、どうしてそうなるのか

光にも不思議で仕方がなかった。

 

  

 ――回想・セフィーロ城・イーグルが療養していた部屋

 あれはまだイーグルが寝たきりで、心で会話出来るようになった彼のベッド脇でおしゃべりするのが三人の日常に

なった頃――広間のお茶会に長居せずこちらに入り浸りの光の為に、プレセアが茶器一式を揃えた棚をイーグルの

部屋に用意してくれた頃だ――ふと思いついたようにイーグルが、『ランティス、ヒカルにお茶でも淹れてあげたら

どうですか』と言い出した。今思えば、確かにその時のランティスは、「いったい何を言うのかお前は」的な渋い顔を

していた。心で話すイーグルは別として、実質的に一番たくさんしゃべって喉が渇いていた光は、無邪気に「飲みたい!」

と欲した。イーグルは寝たきり、光はセフィーロの茶器に不慣れときては、ランティスが淹れるより他なかった。そのあと

見回りに出る予定がある為に鎧さえ身につけている図体の大きな男が小さな茶器を扱う様子を、光は目をキラキラさせて

じいっと見つめていた。彼とて自分が飲む為には淹れるので、手際自体は悪くないのだ。初めてランティスが淹れて

くれたお茶にワクワクしながら、光はまず香りを楽しんだ。

 「ん〜、いい香り♪いただきます」

 一口含んだ途端に目を白黒させた光の慌てぶりは、目を閉ざしたままのイーグルにさえ伝わったらしく、くっくっと

忍び笑いをもらすが如き気配が光にも感じられた。てっきり二人にいたずらを仕掛けられたのだと勘違いした光は、

「これって、罰ゲーム?私、何かいけないことしたのか?」とまで言い、イーグルはもう大爆笑状態になり答えるどころ

ではなかった。ランティスはと言えば、ひどく気まずそうにあさっての方を向いてぼそりと、「すまない」と詫びるので、

光にはさっぱり訳が判らなかった。

 『黙っていてすみません、ヒカル。ランティスはそれでも[普通に淹れてる]つもりなんですよ。やっぱり地球の人

の口にも合いませんでしたね』

 そんなイーグルの言葉に、自分は随分酷いことをランティスに言ってしまったのだと気づいた光は、そらされたままの

視線の先へ回り込み、彼の大きな右手を取り両手で包みこんだ。

 「えーっと、その、あの、すごく、じゃなくてちょっと苦くて、びっくりしちゃったんだ。せっかく淹れてくれたのに、あんな

言いかたして、ゴメンね?」

 いまにも泣き出しそうなぐらいにおろおろとしている光を困らせるような真似は、ランティスには出来ない。目線を

光の瞳に合わせると、空いている左手で光の頬に触れた。

 「いや、ヒカルは悪くない。こうなることが判ってて勧めるイーグルが悪い…」

 自分の腕は棚に上げたランティスに、イーグルが苦笑する。

 『あれ、僕のせいになるんですか?お茶を淹れることなんて、普通は弟子入りしたら一番最初に覚える仕事でしょう?

あの導師に、あなたよくこんなお茶出してましたね』

 イーグルが呆れ返ってそう言うと、不機嫌そうにランティスが答えた。

  「弟子入り一週間で、『お前はお茶を淹れなくていい』と言われたから、俺はやってない。ずっとザガートが導師の

お茶を用意してた」

 たったの一週間でまだ幼い弟子を見限るほどに導師クレフは気が短かっただろうかと、イーグルと光はそれぞれに

考え込んでいた。訊いていいものかどうか悩んだ挙句、口を切ったのはイーグルだった。

 『――何やったんです?ランティス』

 「…めずらしい茶器ばかり、七つほど壊した…ような気がする」

 『ワザと、ですか?』

 「…手が滑っただけ…だったと思う」

 イーグルの問いに、ぼそぼそと答えるランティスの顔をじっとみていた光がふわりと微笑った。

 「そんなの、しょうがないじゃないか」

 光は子供をあやすかのように、自分の両手に包んだままのランティスの右手に頬を寄せる。

 「ランティスがクレフに弟子入りしたときって、五歳ぐらいだったって言わなかったっけ?」

 「あぁ」

 「五歳の子供にお茶なんて淹れられるわけないよ。手の皮が薄いから、熱いもの持てないんだし。ランティスは

なんにも悪くない。ね?」

 生まれてからまだたったの十四年。遥か永い時を生きてきたランティスから見れば、本当に子供でしかないはずの

光が母親のように自分に接しているのを、ランティスは不思議な感覚とともに受け止めていた。

 

 

 ――セフィーロ城・ランティスの部屋

 ドアが開く音にハッとして、光が振り返る。

 「お帰りなさい、ランティス」

 「…あぁ。もう出かけたはずなのに、気配があると思ってたが…。どうした?」

 用意していたタオルをランティスに手渡しながら、光はにっこり笑った。

 「だって心配だったんだ。やっぱり顔見てから行こうと思って。お茶用意してるから、着替えてきて」

 ベッドの上に並べておいた着替えをランティスに差し出すと、光はティーカップを温めにかかる。少し待ってから

カップを温めていたお湯を捨て、コポコポとティーポットからジンジャーティーを注ぐ。ソーサーの上にコトリと置いた

ところで、ランティスが別室から戻ってきた。

 「お茶入ったよ」

 この部屋のダイニングボードとともに城下町で光が選んできた(その時ランティスも一緒に居たが、ただ黙って

荷物運びについて行っただけのようなものだった)小さなテーブルセットに、ランティスは光と向かい合わせに

腰掛ける。ティーカップに手を伸ばし、香りを楽しんでからジンジャーティーを口に含むランティスを、光はじっと

見つめている。

 「ヒカルが淹れてくれるお茶は旨いな。これは暖まるし、香りも好きだ」

 「甘くないしね」

 ランティスの言葉に、光がペロリと舌を出す。地球の茶器と一緒にフレイバリーティーをいくつか持ち込んでみたが、

ランティスはどうも味だけでなく香りの甘いものあまり得意ではないらしかった。

 「お前は飲まないのか?」

 「さっき風ちゃんとこに寄ったときごちそうになったんだ。よければもう一杯どう?」

 「あぁ」

 あっという間に飲み干されていたカップに、光がおかわりを注ぐ。

 「向こうで風ちゃんのおうちに届け物してから、ちょこっと実家で挨拶してくるね。夕ご飯までには帰ってくるつもり」

 「実家で挨拶?」

 そういえば、「実家に顔出しする」とは言っていたが、何をしに実家に行くかまではランティスに説明していなかったなと

光は思い当たった。

 「そっか。こっちには結婚が無いんだから、結婚式前の挨拶もしないんだよね。えーっと、向こうの習慣なんだけど、

普通は結婚式当日の朝とかに両親に育ててもらったお礼を言うんだ。『永い間お世話になりました。この家を出て

お嫁に行きます』みたいなね。いくらなんでも当日の朝に東京まで行けないでしょ?結婚指輪創ったり、他にもいろいろ

予定があるから少し早目に済ませとこうと思って」

 小さなテーブル越しに腕を伸ばして、ランティスは光の頬に触れる。

 「――後悔、しないか?こんなに遠いところまで来て…」

 少し目を見開いてから、光は自分の頬に触れるランティスの手に自分の手を重ねた。

 「しないよ。やっとこれからずっとランティスと一緒に居られるようになるんだもん。待たせちゃってゴメンね」

 初めて出会った頃、「コンピュータのシステムエンジニアになりたい」と言っていた程に頭がよくて、かつ要領もいい

風はやがて国王になるフェリオ王子の手助けになれるよう、大学では法学や国際関係論などを学んでいた。さらに

空いた時間には両親のコネクションも利用して、引退した大物政治家などからも個人的に聴講を受けていたりと、

それだけ忙しくしていてもセフィーロ訪問のペースは光達とそう変わらなかった。そして必要と思われる講義だけ

受けてしまうと、卒業証書は要らないからと、光や海が大学四回生だった六月にはセフィーロに嫁入りしてしまった。

両親や姉を早くに説得したこともすごいと思っていたが、新しく立てた目標に予想外に手こずっていた光には真似の

できない芸当だった。結局両親はともかく兄達(特に下二人)の説得に大学を卒業するまでかかっていたので、

光としてはランティスを余計に待たせてしまったという感が強かった。

 「いや。ヒカルには向こうでやっておきたいことがあったのだろう?」

 「うん。風ちゃんみたいにサクサク片付けられなくって、まるまる卒業までかかっちゃったけどね。ちゃんと勉強して

おきたかったから」

 「俺とヒカルはともに生きていくと約束をした。けれどそれは、どちらか一方が犠牲になるのでは意味が無い。俺が

向こうへは行けないから、ヒカルはこちらで暮らすことを選んだ。そのヒカルがこちらでは得られないものを学んでくる

のに、待てないようではお前に相応しくない」

 「…ランティス」

 ランティスはおもむろに立ち上がるとテーブルに左手をつき、身を乗り出して光に軽く口づけた。

 「そろそろ出かけないと帰りが遅くなるぞ」

 「あ、うん。そうだね」

 「広間まで送ろう」

 「待って。これ洗ってくるから」

 ティーセットを片付けようとする光をランティスが押しとどめる。

 「俺がやるからいい。今日はフウの家に寄る時間も要るだろう?」

 「そうだった…。ごめんなさい」

 「忘れ物はないか?」

 「もう!子供じゃないんだからね」

 「すまない。行こうか」

 「うん」

 ランティスが光の用意していたミニリュックを拾い上げると、二人は連れ立って異世界への通路がある城の広間へ

と向かった。

 

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ランティスがお茶を淹れるというのがどうにもピンと来なかったんで

いっそのこと「下手!」ということにしちゃってます

弟子入りした年齢は五歳に設定してます(どこかに公式にありましたでしょうか?・汗)

当初から駆け引き上手だった風の実家は、なんとなく政界に縁がありそうな印象がありました

二人ともコミックス1の巻末にあった職業にはつけないので、それぞれ別の方向にすすんでます

 

 

                                                                   

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