おさえた首元
どうせなら城下町でお茶がしたいという光と二人、賑やかな通りを歩く。光たちが
三人で行くような少し可愛い店や甘味処にはとても連れていけないので、もう少し
落ち着いた店で香茶を楽しんだ。
「美味しかったね…。旅芸人さんてどんなことするんだろ…ランティスは見たこと
あるのか?」
「…チゼータあたりでは見かけたが、セフィーロではないな」
なにしろ物心ついた時には兄ともどもクレフの許に身を寄せていて、魔法と剣術の
研鑽に明け暮れていたので、何処かへ遊びに出掛けたような記憶もない。出掛けるのは
もっぱら導師の言いつける所用であり、寄り道する暇などはなかった。
「じゃ、ランティスも初めてなのか?! 楽しみだね。そろそろ行こ?」
待ちきれない小さな子供のように、光は大きな手を引っぱり、旅芸人たちが芸を
披露している広場へとせかす。
セフィーロではほとんど見かけることのない紅い髪に紅玉の瞳の娘が楽しげに笑って
いるのはいつもよく人目を引くが、今日はことさらにちらちらと視線を浴びていた。
おろしてはいるものの、光の髪はふわふわと揺れて、赤いしるしを隠しきれない。
「…なんかやたらと…視線を感じるような…」
普段はそういうことをあまり気にかけない性質(たち)だが、東京タワーのパウダー
ルームで見たあれと、そこにランティスがやったことを思い出して光がばばばっと
赤面した。
「も、もしかして目立ってるのか? あれ…」
ランティスの袖をくいくい引っ張り、押し殺した声で光が訊ねた。
「カに食われた痕だと言えばいい」
しれっと答えたランティスを光が睨む。
「…うう、さらにそこに噛みついたのランティスじゃないか…いつからドラキュラに
なったんだ」
一度気になりだすと誰も彼もが見ているような気がしてしまい、ひどく恥ずかしい。
「ここで少し待ってろ」
来た道を戻ったランティスがある店先で何かを買い求めている。大きなストライドで
歩いてきたランティスが手にしていたそれを光にさしだした。
「髪を左に流してまとめて、結わえて隠せばいい」
「綺麗な布…」
淡い桃色のたっぷりとした紗(うすぎぬ)なので、かなり大きなリボンが出来た。
「こんな感じ?」
鏡もないので隠れ具合はランティス尋ねるしかない。
「ああ」
「ありがとう。今日はリボンづくしになっちゃった。えへへ」
お気に入りポイントの肩口にあしらわれたリボンをほらねとランティスに示す。
ちょっぴりてれくさそうな笑顔も人目に晒すのが惜しいぐらいに愛らしい。光の興味が
趣くまま、いろんな店先を覗きつつ、ようよう広場へと辿り着く。
「うわぁ、凄い人だかりだ…旅芸人さんの姿も見えないや」
いったい何処から集まって来たのかというぐらい、賑やかな音楽の流れる広場は人で
溢れていた。
観客からわぁっと歓声がわいたり拍手が起こったりするところをみると何かをやって
いるのは間違いない。
人垣から頭一つ…いや頭二つ分ぐらい背の高いランティスはよく見えているのだが、
人垣より頭一つ低い光に見えるのは人だかりの背中ばかりだ。
ランティスはすっと屈むと、膝下をホールドして光を抱え上げた。
「うにゃあ」
思わず零れた声に近くにいた数人が振り返ると、光は慌てて口をおさえて、「す、
すみません」と小声で詫びた。
「いいよ、ランティス。恥ずかしいから下ろして。ちっちゃい子じゃないんだから」
ひそひそと話されると、こそばゆさでどうにも微妙な気分になる。昼日中の、まして
往来ではどうすることも出来ないので、しかえしとばかりに耳元にささやく。
「そう言うな。そうそう出逢えるものでもないぞ」
「う…」
確かにこれまで何年もセフィーロを訪れているのに、旅芸人一座に出くわしたのは
これが初めてだ。
地球にもサーカスだったり大道芸人だったりがいるが、目のあたりにする機会は
ついぞなかった。
「…重くないか…?」
ひそりと光が訊ねると、ランティスもひそりと返した。
「片腕でも余裕だが」
「じゃ、ちょっとの間だけ…」
人だかりの中心では、太り気味のペンギンのような魔獣が器用にジャグリングを
披露していた。
バレーボールぐらいのサイズの三つのボールをお手玉のように放り投げているその
横で、旅芸人の親方が光を指さした。
「そこの紅い髪のお嬢さん! ちょいとコイツと遊んでやっておくれ!」
「ほえっ?」
まだ可とも否とも答えぬうちに、ボールが一つ飛んでくる。ランティスに抱き上げ
られたままの光でも腕を伸ばせば打ち返せるあたりに飛ばす程度にはコントロールが
いい。
「ハイっ!」
運動神経は折り紙付きの光が軽くアタックするように打ち返すと、また次の球が
飛んでくる。二度も来るとは思わなかったものの、光はやすやすと打ち返す。
「それっ!」
「おねえちゃんばっかり、いいなー…」
そばで見ていた男の子が羨ましげに光を見上げている。
そんな声が光の耳に届いた次の瞬間に、また光を目がけて球が飛んできた。
「他の子とも遊んであげてよー!」
ラリーを終わらせようと光がさっきより強めに球を叩くと、パァンとはじけて色
鮮やかな花吹雪が舞い散った。
「わぁっ!?」
商売道具をダメにしてしまったかと焦る光に、旅芸人の親方が高らかに告げた。
「幸せ運ぶ花吹雪が舞ったところで、本日の興行はこれにてお開きー! またの
お越しをお待ちしておりまするー」
帽子を脱いだ親方が深々一礼すると、そこにおひねりが投げ入れられていく。光も
一瞬ポシェットから財布を取り出したが、持ち合わせているのは日本通貨しかない。
ランティスはポケットをまさぐると幾許かのセフィーロ通貨を光に手渡した。
「え? いいのか…?」
「楽しませて貰ったからな」
「ありがと。……すっごく面白かったよー! ありがとーーっ!」
抜群のコントロールで光が帽子にコインを投げ入れると、予想外の額だったのか
親方が目を丸くしていた。
光が無邪気に笑っている姿を見られるのなら、大枚はたこうと惜しくはない。光を
降ろすと、ラリーの間に乱れて背中側にいってしまっていた束ね髪をランティスは
そっと前に垂らしてやる。
「うわぁ、せっかくリボンまで買ってもらったのに…!」
慌てて自分でも整えてにこっと笑った光を促して、二人はまた人ごみへと紛れて
いった。