0 The Fool (愚者)
XII 吊るされた男 spin off
〜俺の女に手を出すな〜
夜更かしをした割には、今日は二人とも朝食の時間までに起き出していた。昨日プレセア
から贈られたイヤリングを、ランティスが光の耳につけてやっている。
「プレセア、戻って来たかなぁ」
「古なじみに逢って、話が弾んでいるかもしれんな。…夕方までいられるのか?」
「あの、ごめんなさい。東京タワーの展望台が開く時間になったら、今日は帰るよ。『婚約
解消してくる!』って宣言してきたから、海ちゃんたち、きっと心配してると思う。昨日の
実習レポートもほっぽり出して来ちゃったしね」
「今日は元々ウミたちが先約だからな。また時間の取れるときにゆっくりすればいい」
ランティスの部屋を出て、≪近道≫を通って広間へ行こうとしたところで二人はカルディナに
出くわした。
「あ!カルディナ、おはようっ!!」
昨日泣きながらすれ違った時にくらべて格段に上機嫌になっている光とランティスを交互に
見て、カルディナもホッとしたような表情を浮かべた。
「おはようさん!あっ!なんやかわいいイヤリングしてるやん?ランティスに買うてもろうたんか?」
「ううん、これはプレセアにもらったんだ。婚約指輪とお揃いになるように創ってくれたんだって」
実際にはルースとデザインの代金はランティスが出しているのだが、それをわざわざ口に
出すような男ではなかった。
「よかったなぁ、ヒカル。よう似合うてる」
「えへ。ありがと」
「そやけどな、ヒカル」
「なに?カルディナ」
「ヒカルはもっとおねだり上手になったらええと思うわ。ええ女は、貢がせてナンボやで」
婚約指輪を貰った時でさえ遠慮していた光は、カルディナの提案に目を丸くしていた。
「そ、そういうもの??」
「当たり前やないの。ウチなんかラファーガどころか、ランティスにこの羽根扇買うてもろうた
ぐらいやし。チゼータ産の最高級品やさかい、三ヶ月ぐらいはタダ働きになったんとちゃう
やろか?」※1
「そ、そんな高いもの、なんでまたっ?!」
二人が話しているのを黙って待っていたランティスは、誤解を招きそうな発言を始めた
カルディナに待ったをかけた。
「それは前に使っていた物を俺のせいで壊したと言われたから、弁償しただけだろう?
貢いだつもりはないぞ。それに『三ヶ月分』というのは、コンヤクユビワの相場だ」
「どうしてそんなおかしなこと知ってるの、ランティス…」
まるで地球の宝飾店のCMみたいなことを言い出したランティスに、光が苦笑した。
「王子がそんな話をしていたからな」
「もう、あんまり変なこと教えないように風ちゃんに言っとかなきゃ…。別に地球と同じように
しなくていいんだから。それに『三ヶ月分』なんてのは、高い宝石売りたいお店の策略だよ」
「そうなのか?ヒカルの身を飾れるなら、半年分だろうと一年分だろうと構わないが…」
よもや数年後の結婚式の直前に、本当に半年分相当の金額をプレセアとウィンディから
請求されることになるとは、そのときのランティスは予想だにしていなかった。
「はいはい、ごちそうさん。んもぅ、朝っぱらからよぅ言うわ」
カルディナが肩を竦めたとき、ランティスの背後からプレセアの声が聞こえた。
「どうしたの?廊下で話し込んだりして…」
「おはよう!帰る前に逢えて良かった!!プレセア、これ、ありがとう!」
光はプレセアに駆け寄るとイヤリングが良く見えるようにと顔を左右に向けた。
「よく似合ってるわ。ランティスのデザインも案外捨てたもんじゃないわね」
「へっ?!ランティス、そんなこと一言も言わなかったじゃないか」
「プレセアには却下されたからな…」
「ランティスのデザイン、私は一度蹴っ飛ばしたのよ。でもそれを基にしてウィンディが…、
あなたの指輪を創ってくれた城下町の創師の人ね…、ちょっと手直ししてくれたのを私が
形にしたの」
「そんなに手をかけてもらってたんだ…。私…、私…」
そこまでしてくれていたプレセアとランティスをひと時でも疑ったことが申し訳なくて、光は
また涙ぐんでしまっていた。そんな光をプレセアはふわりと抱きしめる。
「ヒカルったら泣き虫なんだから。喜んでもらえて、私も嬉しいわ」
疑ってしまったことを気づかせるなと言ったランティスの言葉を噛みしめて、光は詫びる
ことはせず、プレセアへの感謝の気持ちだけを口にした。
「ホントにありがとう。私、大切にするよ」
「夜通ししゃべってきておなかがすいちゃってるのよ。朝ごはんに行きましょ、ヒカル」
「うん!ランティスもカルディナもお待たせ!」
そうしてにぎやかな朝食を楽しんだあと、光は海たちに事の顛末を報告すべく東京へと
帰っていった。
東京タワーに着くなり海に電話を入れてみたものの、すでに大学へ出掛けたあとだった。
午後からの劇には十分間に合う時間なので、一度はキャンセルにした約束を果たすべく
光は風にも連絡を入れた。電話口に出た風は慌てることなく穏やかに言った。
『おはようございます。ランティスさんとは、ちゃんとお話出来たようですね』
「風ちゃん…?」
『昨日フェリオにランティスさんとプレセアさんが何をなさろうとしていらしたのか、聞いて
来ましたから』
「入れ違いだったのはアスコットに聞いたけど…、その為にわざわざ行ってくれたんだね。
ありがと、風ちゃん」
『海さんから「真夜中でもいいから電話をちょうだい」と伝言があった時には驚きました
けれど、ちゃんとお伝えしておきましたわ。こちらに戻っていらしたなら、予定通り学園祭に
ご一緒しましょうか?』
「うん。勝手ばかり言ってごめんね」
『それでは当初の待ち合わせ通りに』
「じゃ、また後で」
舞台から目ざとく光を見つけた海に小さく手を振りつつ、その晴れ姿を何枚も写真に収めて
終演するなり控え室へ向かった。
「海ちゃん、お疲れ様!凄くカッコ良かったよ!」
「光っ!お帰りなさい!!その笑顔なら大丈夫ね?」
「心配かけてごめんね」
そう言って左薬指の婚約指輪とお揃いのイヤリングを海に示す。
「それがプレセアに創って貰った物ね。素敵よ!」
「ランティスが考えてくれたんだって」
「へぇ、やるじゃない、朴念仁の割には。愛よねぇ」
クスクスと笑う海に光は真っ赤になっていた。
「さぁ、サクッと学園祭冷やかしたら、あとは家で洗いざらい喋って貰うからね、光」
「あのっ、私、昨日の実習レポートが…」
「いいえ、今日は私も逃がしませんわ」
「風ちゃんまで…」
がっしりと腕を組まれて、光は二日連続でほぼ徹夜をする羽目になることを覚悟した。
一連の事態は円満解決を見たかのように思えたが、新たな出来事の芽は光の中に
すでに埋め込まれていたのだった……。
幼稚園での教育実習も折り返しに入り、相変わらず光は園児たちの人気者だった。
二日ほど風邪で休んでいた問題児は、登園するなり光のところに駆けてきた。いくら
セクハラものの困ったちゃんでも、邪険に出来ないのがつらいところだった。
「光せんせー、おはようございまーす!」
「おはよう!もう元気になったんだね」
「スッゴく怖い夢いっばい見たけど、もう平気だよ!」
「怖い夢?」
小さいのに熱で浮かされていたのだろうかと、光は薄茶色のサラリとした髪を撫でる。
母親がロシア系クォーターということで、見ようによっては金色ともいえる不思議な瞳を
持つシュウはこくりと頷いた。
「夢の中でね、悪の大魔王に雷ビシバシ落とされる勇者になってたんだ」
「ふふっ。学芸会ではシュウくんが悪の大魔王役なのにね」
「だよね。それに悪の大魔王に囚われてるお姫様が光せんせーってのが、すっげー納得
出来なかったんだけどっ」
最近子供たちの間で人気の冒険ファンタジーを題材にしようとしたら、主人公の勇者役と
囚われのお姫様役乱立、敵役はラスボスの悪の大魔王役に立候補したシュウ一人だった。
オリジナル脚本を書いた先生が苦心惨憺したのは言うまでもない。
「あははは、ごめんね。シュウくんの夢に割り込んじゃって…」
「夢の中の光せんせーはもうちょっと胸あったから許してあげる!」
「あ、そう…」
「あいつ、黒ずくめで敵ながらカッコよかったから、あれ真似しちゃおうかな。次のお絵描きの
時間に描いてやるよ!」
「シュウくん、お絵描き得意だもんね。さぁ、中に入ってうがいと手洗いしておいで」
「うんっ!」
そう言ってすれ違いざま光の胸を『むにゅ♪』っとやったシュウが、光が怒鳴るより先に
手を引っ込めた。
「いてっ!雷落ちたっ!!」
「こんなところに落ちないって。そういうのは『静電気』っていうんだよ」
そう苦笑いしたものの、光には静電気が飛んだような感触はなかった。
「静電気ならママがよく飛ばしてるから知ってるよ!もっと凄かったもん」
「じゃ、シュウくんが悪いコトばかりしてるから、本物の悪の大魔王さまが怒ってるんだ」
「そんな言葉に騙されないよ。悪の大魔王は悪いコトして当ったり前じゃん!光せんせーの
電気ナマズ!」
「ナ、ナマズ!?…せめてクラゲにしてくれないかな…」
そもそも電気クラゲは名前だけで、電気を出しているわけではない。走り去るシュウの
後ろ姿に懇願するポイントがかなりズレている光だった。
それ以来、シュウが『胸むにゅ♪』をするたびに「雷落ちた!」と半ベソをかき、シュウの
真似をしていた悪ガキたちも先生や教生への『胸むにゅ♪』をあまりやらなくなった。
その週のお絵描きの時間は今度の学芸会に展示する物を描くことになっていた。体育館で
劇やお遊戯、合唱などが披露される他に、別教室で絵や工作の展示もされるからだ。光が
実習中に担当しているすみれ組は劇をやるせいか、それに因んだ絵を描く子供が多かった。
「ふうん。それが夢に出て来た『悪の大魔王』?」
「あ、電気ナマズ来た…。光せんせー、平べったいからシビレエイかな」
「あのね〜、先生にそういうコト言っちゃダメなんだよ、シュウくん」
「だって雷ビシバシ来るし…」
「だからそれは『胸むにゅ♪』の罰だよ。お遊戯で手を繋ぐのは平気だったでしょ?」
なんとかあの悪癖をやめさせられればと、光も都合のいいように怪現象を利用していた。
「なんだよ!光せんせーがあんまり絶壁胸だから、コイビトに見捨てられないように協力
してやってんじゃん!」
「絶壁胸って…。どこからそういう言葉覚えるのかな。そんな協力はしなくていいの!
まったくもう…」
そう言いながら光は他の園児たちの絵も覗き込むが、女の子たちは自分が演じる囚われの
お姫様を描いている子が多かったのに、男の子はなぜか勇者より悪の大魔王の絵の
ほうが多かった。
「みんな勇者役やりたがってたのに、絵に描くのは大魔王なんだね…。それにしても…」
一部の男の子たちの描く悪の大魔王が、申し合わせたように黒髪で黒ずくめなところが
光にはどうにも不思議で仕方がなかった……。
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
※1カルディナがランティスに羽根扇を買わせた件については「Silent....」参照
すみれ組…日産バイオレットから転用(そこまでこだわらんでも?)
最近の幼稚園とかの劇って、「みんな主人公」状態がよくあるという話なので、こんなことになってます