0 The Fool (愚者)  

                                  XII 吊るされた男 spin off 

             〜俺の女に手を出すな〜 

     

 

            

 

 

 

どのくらい眠っていただろう。あるいはほんのつかの間、うとうととまどろんでいただけ

かもしれない。気がつくとランティスに背中越しに抱かれていた。背を向けているのが

悪いような、もったいないような気がして、光はランティスを起こさないようにそっと寝返りを

打った。向き直って眠ろうとした光の耳に、甘く優しい声が響く。

「どうした?」

「ごめん。起こしちゃった?」

「いや」

「あ、腕痺れて眠れなかったかな。ごめんなさいっ」

慌てて腕から抜け出そうとした光を、ランティスはふわりと抱きしめる。

「ここにいろ」

「でも…」

「いやなのか?」

「そんなこと…。ランティス、眠れないかと思って…」

「俺はこうしていたい。お前がいる夜ぐらいは…」

「じゃあ、ここにいる。私もね、こうしていたかったんだ」

そう答えた光の髪をランティスは愛おしげに撫でた。

「…夢を見られるのかと思っていた…」

「え?」

「お前が枕の下に指輪を置いていったのは、地球のまじないだと思ってた」

「おまじない?」

「遠く離れた恋人に夢で逢う為のまじないだろうかと、昨日出掛けるまでそのまま置いて

いたんだ。なのに、逢えなかった…」

「ランティスって、結構ロマンティストなんだ」

くすりと笑った光の頭に、ほんの少しむっとしたようにランティスはこつんと顎をぶつけた。

「笑うな。我ながら大した勘違いだと呆れてるんだ」

「書き置きぐらいすればよかったかな。ランティス多少は日本語の読み書き出来そうだし」

「それもなかなか心臓に悪いな、あの場合は…」

「おまじないかぁ…。中学ぐらいの頃に、クラスでそういうの流行ってた気はするんだけど、

あんまり興味なかったからよく知らないんだ。もし、そういうの調べて来たら、笑わずに

やってくれる?」

「誰かのやり方に頼るより、自分たちだけのやり方を考えればいい」

「魔法で?」

「…少なくとも俺の知る限りにはないな」

そんな魔法をランティスが知っていたなら、それはそれで微妙に悩んでしまいそうだった。

「本当はこうして逢えるのが一番なんだけど…。ごめんなさい」

「謝らなくていいと言っただろう?」

「うん…」

逞しい腕の中に抱かれたまま甘えるように胸に顔を埋めた光の左手が、ふと思いついた

ようにランティスの身体をなぞり始めた。

「何をしてるんだ?ヒカル」

くすぐったさに少し顔をしかめたランティスが光の左手の指を絡め取る。

「あの時の傷痕、残らずに済んだのかなと思って…」※1

ピクニック気分で出掛けた秋の森で、魔獣にさらわれてきた子供たちを助ける為にたった

二人で戦う羽目になったことがあった。その最中、光と子供を庇い、ランティスは深傷を

負った。光もすぐに手当てをしたし、救出されたあとクレフに回復魔法をかけて貰ったのも

知っていたが、これまで自分の目で確かめた訳ではなかった。夏に初めて夜を共にした

ときは、そこまでの気持ちの余裕がなかった。

「ああ、あれなら跡形もない。なんだったら灯りをつけて見るか?」

ランティスに耳元で囁かれると、それだけで光は心拍数が跳ね上がりそうだった。

「灯りはいいよ。まだ、恥ずかしいから…。ちゃんと治ってるならいいんだ」

「お前の腕に俺がつけた傷のほうが、治るのに時間がかかっていたと思うがな。お前に

傷痕を残さなくてよかった」

長袖のシーズンだったので、体育や部活での着替えの時以外は人目につくこともなく、

夏にはちゃんと治っていることをランティスにも解って貰えるようにと半袖でアピールした

ものだった。

「あの日、初めて解ったんだ。ランティスが私にとって、どれだけかけがえのない存在

だったのかって…」

「ヒカル…」

小さな顎を掬い上げくちびるをむさぼりながら、ランティスは光の左胸の柔らかなふくらみを

右手の中に収めつつ覆いかぶさっていった。深いくちづけに呼吸もままならい光が

ランティスの右手首を掴み、少しだけ顔を背けて息を吸い込んだ。

「はふっ、苦しかった。ランティスの手…」

「力を入れたつもりはなかったんだが、痛かったのか?」

「…そうじゃなくてね、ランティスの手は大きいから掌だけで私の胸収まっちゃってるなぁ

って、しみじみ情けなくて…」

「お前、またそんなことを」

思いきりその気を削がれてしまったランティスは、光のかたわらに横たわり紅いふわふわ

とした髪を指で梳いた。

「どうしてそんなに気にしてるんだ?」

自分に自覚がないだけで、何か光に誤解されるような行動でも取ってしまっていたの

だろうかとランティスが探りを入れる。

「教育実習で、ちょっと…」

「あるばいとで出入りしているのと同じ、家の近くのヨウチエンでセンセイをしているんだろう?」

「うん。先生の見習いだけどね。一人、容赦ないヤツがいるんだ」

光のその言葉に、髪を梳くランティスの手がぴたりと止まった。

「『容赦ないヤツ』……男か?」

「男って…、まぁ、シュウくんって男の子なんだけど、五歳だったかなぁ。本職の先生も手を

焼いてる子なんだよね」

自分の五歳の頃はどうだったろうかと思いつつ、ランティスは光を促した。

「それで?」

「年少さんって一番ちっちゃい子供たちだと、お母さんから離れると泣き出しちゃう子もいてさ、

ひざまずいて抱っこして宥めたりすることも多いんだ。で、そのシュウくんも泣きながら

抱きついてきたんだけど……」

「……けど?」

「『光せんせーって、洗濯板!!』って…」

洗濯板はセフィーロにも類似品があったので、ランティスが思いきりむせ返った。

「ずいぶんとしつけの悪いガ…子供だな」(ガキと言おうとしましたか?・笑)

「なんでそこでむせるの、ランティス」

光が少しふくれっ面になって、ランティスに文句を言った。

「いや、すまん」

「いいんだけどね。あと、『晩御飯のムニエルの舌平目ーっ!』とかさ…」

「シタビラメ…?」

「そういうもの凄ぉく平べったいお魚がいるんだよ、地球に…」

「…しかし五歳ぐらいでそんなことを言うものか…?」

「中学生…十三、四歳のお兄さんがいるらしいからね。他の子に比べたらもう格段に

おませさんだよ。こう、『むにゅ♪』って胸を触っておいて、『光せんせー、つかめるところが

ないーっ!』とか、毎日のようにやられちゃうし」

よせばいいのに、光がわざわざランティスの胸で『むにゅ♪』の鷲づかみ(あ、まんまじゃん…)

アクションを再現してみせる。

「ヒカルの胸を触ってる…だと?『俺でももう少し遠慮してるし、まだ数えるほどしか…!』

ランティスの心の葛藤に気づかず、光はため息を漏らした。

「私に限らず、先生も教生(教育実習生)も全員餌食なんだよね」

「そういう手癖は、教育的指導を入れたほうが良くないか?」

「うーん。うちの道場でならアリだけど、あの幼稚園ではダメかなぁ…。いくら子供が悪くても、

保護者に捩じ込まれると困るから。『親でも手を上げたことがないのに!』って言われちゃうよ」

「手ではたくなんてまだ甘いほうだろう。導師には文字通り『雷』を落とされていたものだが…」

「ランティスって、そんなにやんちゃだったのか?」

「さぁ、どうだったろうな…」

光の問いかけに、ランティスは忘れたふりをしてとぼけていた。

「幼稚園に居る間は子供たちの顔とかに当たるといけないから指輪はしまってるけど、

帰る時に手に戻してるんだ。あ、ランティスの魔法、ちゃんと効いてるよ」

「そうか」

「でね、そのシュウくんに前に指輪見られちゃって、『光せんせー、いっちょ前に彼氏いるのか?』

って言われて、『結婚の約束をした男性(ひと)がいるよ』って答えたんだけど…。………」

「どうした?」

「『げげっ!マジありえねー!』って…」

「ヒカルはこんなにかわいいのに、何が有り得ないんだ」(言ってろ?)

「有り得ないのはランティスもなんだよ」

「?」

いったい何が有り得ないのか見当もつかないランティスは怪訝な顔をしていた。

「『顔がちょっとぐらいかわいくても、こんなペッタンコと結婚なんて、絶っ対ありえねー!』って」

「……(怒)

「で、とどめがさ、…………」

こんなことをランティスの前で口にして呆れられたりしないだろうかと、ついつい光が口ごもる。

「まだあるのか。……何を言われた?」

「わっ、私じゃなくて、シュウくんが言ったんだからね?」

「いいから言ってみろ」

「………『コイビトに揉んで貰っててこの程度?!すっげえ絶望的扁平胸!』って」

(怒)本当にませた奴だな…。見た目が五歳なだけじゃないのか?」

「まさか!セフィーロじゃないんだから…。光景鷲(みかげ・しゅう)って、難しい名前なのに

もう漢字でフルネーム書けるし、学芸会の劇のセリフ覚えもいいし、口の立つ頭のいい子

ではあるんだよね」

光はランティスの大きな掌に指でなぞって『光景鷲』と漢字を書いて、彼が頷くのを確認

していた。

「ヒカルの名前と同じ字があるな」

「そういえばそうだね。『胸でっかくする手術やる病院、パパに聞いてやろうか』とまで

言われちゃったよ。知事さんだから顔が広いんだろうどね、シュウくんのパパ」

「チジ…?地方行政区画の官庁の長だったか?」

新しいセフィーロのあり方を探る上で、地球のさまざまな法律・行政などにまつわる文献も

読んでいたランティスが光に尋ねた。

「うん、そうだよ」

「それにしても、そんなことをする病院があるのか…」

「美容外科のこと?あっちでは別に珍しいものじゃないよ。効くんだか効かないんだか

怪しい、胸をおっきくするサプリだとかもあるし…」

「『手術』というからには、切るのか?怪我でも病気でもないのに?」

「ああ、オートザムあたりには『手術』ってあったの?まぁ、そうなるよね」

「そんな必要はないからな、ヒカル」

「大丈夫。そんなことにかける余計なお金も時間もないから」

「そういう問題じゃない。そんな不自然なことをしなければ続けられない関係に意味があるか?」

「人それぞれなんじゃない?ただ自分に自信を持ちたくて受ける人もいるみたいだし…」

「俺は、今ここにいる、そのままのヒカルがいい…」

「ランティスならそう言ってくれる気がしたんだけどね。あんまりシュウくんに毎日毎日

ぼろっかすに言われるから、ちょっと自信なくなってきてたんだ。ちっちゃい子って遠慮が

ない分、正直だから…」

「他の男の言葉なんかに惑わされるな」

「やだなぁ、他の男ったって、子供だよ?」

「それでも、だ」

少し機嫌の悪そうな口調のランティスに、光がくすっと笑った。

「シュウくんに妬いてる?」

「俺よりずっと長い時間、ヒカルのそばに居るからな。昨夜まで、…お前も妬いていたん

だろう?」

ランティスは光のうなじに手をまわすと耳朶を軽く噛んだ。『あっ…』と首を竦めた光が、

ランティスの肩に額を押し付けた。

「ごめん、なさい…」

「…二人で過ごす夜は…、…二人のことだけ考えないか…?」

交わす言葉が、次第に途切れがちになっていく。

「そう…だね。貴重…なんだもん…」

考えるよりむしろ行動に移してしまうのは、この二人に共通の傾向だった……。

 

 

 

夜の闇が間もなく薄れようとする頃、ようやく眠ることを許されすやすやと穏やかな寝息を

立て始めた光を起こさないように、ランティスがローブを羽織りベッドを抜け出した。火を

ともしたランタンを書棚のそばに置くと、以前に光から譲り受けた分厚い地球の書物を

繰り始めた。

「…やはりな。妙に気に入らないと思った…」

本をしまってランタンの灯りを消すと、ランティスはまた静かにベッドに戻った。珍しく肩の

辺りまでしっかり被っているブランケットをそうっとめくると、あらわになった何も身につけて

いない光の胸の谷間に、くちびるが触れるか触れないかというぎりぎりまで顔を近づけた。

「…ヒカルは、俺のものだ…」

そう呟くともっと小さな低い声で、光に気づかれないようにランティスは何かの呪文を

唱え始めた。

 

 

 

 

 

 

                                               NEXT

 

 

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※1については「課外授業」参照

 

 

                                                                             このお話の壁紙とタロットカードのイラストはさまよりお借りしています