VI The Lovers -恋人- の正位置
自分の部屋に戻ったランティスは、光が居るはずなのに暗いままの室内を怪訝に思った。
もしやと思い月明かりだけを頼りに窓際に近づくと、ベッドに腰掛けたまま待ちくたびれて
しまったのだろう、足を床に下ろしたままの不自然な格好で光が寝入っていた。実習で
疲れている光を起こしてしまわないようにと、ランティスはサイドテーブルの小さなランタンの
灯りだけをともす。こうして見るまだ少しあどけなさの残る寝顔は、『ランティスもイーグルも、
みんなみーんな大好き!』と屈託なく笑っていた頃とあまり変わらない。頬に残された
涙のあとを、ランティスはそっと拭った。
「泣かせたのは、俺のせいか…」
その声と頬に触れる感触に気づいて、光が目を覚ました。
「…ランティス……。あ、あのっ、勝手にベッドで寝ちゃったりして…、ごっ、ごめんなさいっ!」
慌てて立ち上がった光の両肩をやんわり掴んで、ランティスはもう一度ベッドに掛けさせた。
「俺の婚約者のお前が、どうして謝る?」
隣に並んで掛けたランティスが、そう言いながら光を腕の中にふわりと抱き込んだ。驚いて
ランティスの腕から逃れようと光がもがくと、身じろぎひとつ取れないほどきつく抱きしめた。
「何してるのランティス!?プレセアに…悪いと思わないのか!?」
「思わないな」
「私…、私、もう知ってるから…。もう解ってるから、プレセアとのこと。だから…離して」
終わりにする為にここへ来たのに、ちゃんとさよならを言う為にここへ来たのに、こんな
風にその腕に抱きしめられてしまうと、たとえもう二度とランティスの心が自分のものに
ならなくても、それ以上のことを望んでしまいそうな自分が怖かった。
「こうしておかないと、ヒカルは俺の話も聞かずに逃げ出してしまうだろう?お前には俺の
結界も効力がないようだし」
「結界?」
「机の上にいろいろ不味い物を置いていたんで、『他人を通さないように』と結界を張って
おいたのに、それに気づきもしないで通り抜けたんだな、お前…」
「私、机のもの見ても、何にも解らなかったから!ずかずか入っちゃって、あのっ、私、
ニブいから、結界に気づかなかったのかも」
「違う。ヒカルが、俺にとっては『他人』じゃないからだ」
抱きすくめられたまま耳元でそんな風に言われると、とくんとくんと光の心臓が高鳴った。
右腕だけでしっかりと抱き込んだまま、ランティスは淡い水色に小さなリボンのついた
小箱を光が見える位置に取り出した。
「これを、プレセアから預かってきた」
「私に…?」
光の右手の上に小箱を乗せると、ようやくランティスがきつく抱きしめていた腕を緩めた。
光がそっと蓋を開けると、白いシルクを思わせる台座に、指輪とお揃いの蒼い石が煌めく
イヤリングが収められていた。
「指輪と…同じ石?これをプレセアが創ったの…?だって、いつもと感じが違うよ」
創師によって作風が変わるということは、六年近いセフィーロ生活で光も学んでいた。
このイヤリングは普段のプレセアの作風からはかけ離れた、明らかに光の婚約指輪に
合わせた趣に仕上がっていた。
「本当は、王子やフウたちの時と同じように、婚約指輪を創ってくれるつもりでいたんだ
そうだ。このセフィーロで…、俺なんかよりもずっと長くお前を見守ってきたのだからと」
「あ――。だから…、だからあんなに指輪をじっと見てたんだ…、プレセア…。それなのに
私、なんてひどいこと考えてたんだろう…」
ぽろぽろと涙を零してそう呟いた光のやわらかな髪を、ランティスはそっと撫でた。
「プレセアは何も気づいていない。だから、これからも気づかせるな」
「でも、それならランティスは…?!自分勝手に思い込んで、ランティスのこと疑ったり
して…。私なんか、ちっともあなたに相応しくないよ」
俯いたまま膝の上で握りしめた光の拳が小刻みに震えていた。ランティスは左手を光の
右の頬に伸ばし、自分のほうへと向き直らせた。
「きちんとお前に話さなかった俺が悪い」
きゅっと引き結ばれた光のくちびるに、ランティスはそっとくちびるを重ねた。そのまま
押し流されるまいと、光のほうがランティスから離れた。
「…いつもいつも、ランティスのこと後回しだし…」
「俺もヒカルが来るのを知っていて魔物退治に出ることだってある」
「だって、それはランティスのお仕事じゃないか」
「そう。魔法剣士としての仕事だ。ヒカルはダイガクセイで、勉強することが仕事だろう?」
「でも…」
そう言いかけた光の言葉を、ランティスがふたたびくちづけで封じ込める。
「離れていることが不安なら、俺がトウキョウへ行く手段を探してやる」
「そんなのダメだ。あのとき、『多分、最初で最後だ』って言ってたじゃないか。ランティスに
危ないことさせるぐらいなら、私、学校やめる!」
光の両肩をぐっと掴んで、ランティスはいつになく厳しい顔つきで言った。
「ヒカルはやりたいことがあるから、ダイガクへ行くことを決めたんだろう。自分で決めた
ことなら、最後まで貫け」
「だけどこの先、もっと実習も増えるし、きっと今より後回しになっちゃうよ…」
「はじめから判っていてそういう女を選んだのは俺自身だ。いまさら文句を言うのは筋違い
だろう?――もう一度、この指輪を受け取ってくれないか?ヒカル」
「だけど私は、ランティスのこと、信じてなかったのに…。そんな資格ないよ」
「遠すぎて、心細かったんだろう?」
「あなたの話も聞かないで、勝手に終わらせようとしたのに…」
「これから話していけばいい。俺も言葉が足りなかった」
「ホントに…私で、いいの…?」
「ヒカルの為に創った指輪だ。お前以外の指を飾りはしない」
光はおずおずと左手をランティスに預けた。八月に受け取った時は、完成した指輪が
左薬指に嵌まっていたので、こうしてランティスに嵌めて貰うのは初めてだった。ランティスは
ほっそりとした左薬指に蒼いセル・リアの婚約指輪を嵌めながら光に言った。
「ケッコンしよう、ヒカル」
「――はい」
また一筋こぼれ落ちた涙を、ランティスはくちびるでそっと拭うと、指輪と同じ箱に
収められていたイヤリングを光の耳にあてがった。
「お前によく似合う」
「それはつけてくれないの?」
「今は、少し邪魔だから…また、あとでな」
そう答えたランティスの瞳は、あの夜よりも熱っぽく光を見つめていた。それはほんの
少し前までの光の気持ちと同じように感じられた。それどころか「心が無くても…」とさえ
望んでいたことが、光は急に気恥ずかしくなってきた。
『もしかして私ってば、なんかもの凄いコト考えてたような…』
これは赤面すべきところか、はたまた蒼白になるべきところか判断をつけかねて顔を
伏せていると、少し焦れてきたランティスのほうが光の右手首をやんわりと掴んで、
ブラウスの袖口のボタンを外した。光がどきりとしているのも構わず、躊躇うことなく左袖の
ボタンも外す。
「ランティス…」
ランティスはその声に答えず、光の襟元のボタンを一つ外した。
「えっと、あのっ、そのっ、私、…胸、ちっちゃいから…」
「――だから、なんだ?」
二つ目のボタンを外すとき、指先が胸の谷間の素肌に少しだけ触れて、光がびくんと
身体を震わせた。
「つまんないんじゃないかなって…」
「どうして?」
三つ目のボタンが外された。
「だって、男の人って、…おっきい胸のほうが好きなんでしょ」
「…誰が言った?」
四つ目のボタンも外されてしまった。
「みんな、言うよ」
「そんなことを言った覚えは、俺にはないが」
「それは、そうだけど…」
最後のボタンもランティスの指にあらがいはしなかった。
「俺が欲しいのは、ヒカルだけだ」
耳元で低くささやいてサイドテーブルの灯りを消すと、ランティスはさやかな音を立てて
光のブラウスを落とした。
2010.2.22
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やさしさのお題10(お題元:Code. @スズキさま)の「・・・・・・信じてる」から書き始めた話が
なんでかこんなことになってしまい、お題ネタにするのを断念しました
タロットカードの解説については月星キレイの星と月とタロット占いさまを参考にさせていただきましたが、
これまでタロットカードで占ったことはもちろん、占ってもらったこともなく
まったくの思いつきでネタにしてしまったので、解釈に取り違いがありましたらご容赦ください
(2010.2.13の某所茶会でネタの一部披露をしたときには、タロットのタの字も絡んでませんでした 汗)
物語冒頭の「二本の木の間に吊るされた男」はPIAPROベータのコラボ作品[ボカロ de タロット]の
イメージからいただきました
このお話の壁紙とタロットカードのイラストはさまよりお借りしています