step by step

 

 「こんにちは」

 ノックされるまでもなくひとりでに開くドアから、赤い髪の小柄な少女が入ってきた。やりかけていた書類を片付けた部屋の主が

椅子を回転させて、机を回り込んできた少女の頬に手を伸ばした。

 「元気だったか?」

 去年のクリスマス、四ヶ月ぶりに目にした光は受験勉強のせいでなく、突然訪れた別離に傷ついて酷く面やつれしていた。まだ

本試験が控えているから試験勉強は続いているはずだが、顔色がずっと良くなっていることにランティスは安堵した。

 「半年ぶりになっちゃった。クリスマスに来るって言ってたのに、約束破ってごめんなさい」

 あの日ランティスは光に逢うために東京まで飛んだが、身体はセフィーロに置き去りの精神体だったので光には見えていなかった。

ランティスもまた、目の前で泣いている光の涙を拭ってやることすらできなかった。

 「いや、まだニュウガクシケンがあるし、逢えるのはもっと先だと思ってた」

 「ずっと、ずっと逢いたかった…」

 ひさしぶりに逢うんだから、一番いい笑顔で、と思っていたのに涙がとめどなくあふれて止められなかった。

 「ヒカル…」

 頬に触れていた手を伸ばして、ランティスは光の身体を抱き寄せた。堰を切ったように泣きじゃくる光を、何も言わずにランティスは

抱きしめる。

 「うっく…、ごめん、なさい。泣くつもり、ないんだけど…。止まんない」

 しゃくり上げながらそう言う光の背中を優しくとんとんと叩きながら、ランティスは耳元で低くささやいた。

 「俺の前では、ありのままのヒカルでいればいい。自分を抑えなくていいから」

 「うん…」

 逢えなかった時間の分もお互いの温もりを感じ取ろうとするように、長い間そうしてふたりは抱き合っていた。しばらくして落ち

着いてきた光が、それでもなおランティスの肩に額を押し付けるようにして動こうとしなかった。

 「どうした?」

 「泣きすぎで、きっと酷い顔してるから…」

 「ずっと顔を上げないつもりか?」

 「だって…」

 「すぐに、目を閉じればいいんだろう?」

 思いがけず足を払われてよろけた光を自分の膝に座らせると、顎を掬い上げてくちびるを重ねた。豆鉄砲を食らった鳩のように

見開かれていた紅玉の瞳が、熱っぽく潤み閉ざされていく。これまでは軽くくちびるが触れるだけで放してくれたのに、今日は

小鳥がついばむような小さなキスを何度も繰り返されて、光は目を閉じていてもくらくらとめまいがしそうだった。ランティスの膝の

上にいるのだからそんなことはないはずなのに、しがみついていないとどこかに堕ちていきそうな気がした。たくさんの優しい

キスのあと、ようやくランティスが光を解放しようとすると、今度は光のほうがキスをねだった。

 「…もう少しだけ…」

 光の可愛いおねだりに幾分驚いたような表情をしたものの、ランティスはもう少しだけ大人のくちづけでそれに応えた。

 「あ…ふっ…」

 光は初めて経験する深いくちづけにすっかり力を奪われて、もうしがみつくことも出来ずにランティスの腕に身体を委ねきっている。

あまりにくったりしている光の身体をしっかりと支えて、ランティスが微苦笑した。

 「ヒカルには刺激が強すぎたか?」

 「そんなこと…。ちょっとびっくりしただけだよ」

 『もう少しだけ』という言葉の捉えかたに大きな隔たりがあったようで、『もう少しだけ続けて欲しい』と思っていた光と、『もう少しだけ

深く』確信犯的に踏み込んでいったランティスの賭けは、ランティスの勝ちのようだった。

 光はランティスの胸にもたれ掛かれると、ぽつりと呟いた。

 「…泣いた訳は聞かないんだね」

 ランティスはその訳を知っている。けれども、できることならそれを光に知られたくないので、知らないふりをした。

 「俺が聞いていいことなら、ヒカルのほうから話してくれるだろう?」

 「うちの道場でこれを拾ったんだ」

 光はポシェットを開けて、大事にハンカチに包んでおいた黄金色の鏡のペンダントを取り出した。光がセフィーロに飛んできた時

から、ランティスはその気配を感じ取ってはいた。

 「クリスマスの日に…」

 「…」

 「うっすらだけど、裏に文字が刻んであるの。上は解らないけど、下のは『ランティス』って書いてあるんだよね?」

 「…よく読めたな」

 「ランティスの名前だけは覚えたから。上は、ザガート?」

 「ああ」

 「あの日、覚兄様と手合わせしたんだけど、太刀筋がね、兄様じゃなかったんだ」

 

 渡された鏡を手にしたランティスが、懐かしむような、それでいてつらそうな表情をしていることに気づいて、光はそっとランティスの

頭を抱き込んだ。

 「ヒカル…?」

 「言いたくないなら、ううん、言うのがつらいなら、無理には聞かない…。あの日、逢いに来てくれてありがとう。でも、あんまり無茶

しないで。ランティスになにかあったりしたら…」

 自分を包んでいる腕が小刻みに震え始めて、あのあと光がどんなに心配していたかにランティスは思い至った。華奢な身体を

しっかりと抱きしめて、ランティスはささやく。

 「心配させたな。トウキョウへ行くのは、多分、あれが最初で最後だ。この鏡が、力を貸してくれたんだろう」

 「そうなんだ…」

 「この鏡は…昔、父が母に贈り、母は子供に…、娘に託そうとしていたものだ」

 「え、姉様も居たのか?ランティス」

 「いや」

 遠い昔の記憶がよぎり、ランティスが微かに笑った。

 「導師の話では占じ事の得意な人だったらしいが、子供に関してはまるで当たらなかったようだ。一人目の時も、二人目の時も

『生まれてくるのは女の子』と言い張ってたそうだがな」

 「それが、兄様とランティスなんだね」

 「ああ。愛しき者を護るよう念を込められたそれは、母からザガートへ、そして俺へと託された」

 光は黙って話を聞きながら、ランティスの髪を優しく撫でている。

 「父が逝ったあと、母はその忘れ形見を身ごもっていた…」

 ランティスに弟や妹がいるという話を聞いた記憶のない光には、その先の予想が出来る気がした。

 「あと十日もすれば弟か妹が生まれて、その鏡は俺からその子に渡すはずだった。急に母の具合が悪くなり、ザガートが薬師を

呼びに出ている間に母は逝った。俺が看取ったんだ…」

 たった五歳で、ひとり母親を見送るなんてどんなにつらかっただろうと、光はぎゅっとランティスを抱きしめた。

 「私物らしい私物もなかったから、それだけが形見の品だったんだが、村を出る朝、ザガートにも言わないまま、母の傍らに埋めた。

生まれて来なかったその子が、持つはずだったから…」

 「埋めたって…。じゃあ、ランティスが落としたんじゃなかったのか?」

 「あの村も、エメロード姫消滅後の崩壊に飲み込まれて消えたはずだからな」

 「このお城以外、ほとんど荒れ野原状態だったよね」

 「俺の手許どころか、セフィーロにもなかったもしれない…」

 あの時、セフィーロでもない、トウキョウでもない異空間で見た輝きがこれだったのかと思うと、不可思議な気がしてならなかった。

 「じゃあ、きっと戻ってきたかったんだね、持ち主のところへ」

 「…」

 「ランティスの父様が護ろうとした母様も、ザガートも…、生まれてくるはずだった赤ちゃんもいないなら、ランティスが受け継ぐべき

ものでしょう?」

 愛しき者を護る為に――。だから、力を貸してくれたのだろうか。

 「これをヒカルに持っていて欲しい」

 「ダメだ!そんな大切なもの…、受け取れない!」

 「いわくつき過ぎて迷惑か?」

 「そうじゃなくて!やっとランティスの手許に戻ったんだから、大切にしなくちゃ!」

 「こういうのは後生大事にしまい込むものじゃない。だから、誰より大切なお前に渡したい。――きっと、いつかお前を護ってくれる」

 『遠く離れてる時も、ヒカルを護ることが出来るよう、力を貸して欲しい』自分自身の念を込めながら、いまはもう記憶の彼方にいる

家族に祈った。ザガートも…許してくれるだろうかと思いながら。あまり気を読むことに慣れない光でも、輝きが一段と増したのが

判るほど、ランティスの手にある鏡は強い力をたたえていた。細い金色の鎖の広げて頭から通し、ランティスは押さえられていた

光の三つ編みを鎖の外に出した。首筋に触れられ、『ゃんっ!』と、くすぐったそうに身をよじる光がひどくなまめかしく感じられ、

ランティスがどきりとする。そんな想い人の心の機微にも気づかず、光はまだこだわっていた。

 「やっぱり、いまはダメだ。受け取れない。言ったでしょ?セフィーロから東京に持ち出すもの、失くしちゃうことがあるって。せっかく

ランティスの手許に戻って来たのに、これ失ったら、困るよ。ランティスの父様や母様にも申し訳立たないもの」

 そう言った光がペンダントを外そうと鎖に手をかけた時、胸元の鏡から目も眩むようなまばゆいひかりが発せられた。

 「きゃっ!」

 「ヒカル!?」

 あまりの眩しさに正視はできないものの、ランティスはとっさに光の腕を掴んで抱き込んだ。  ひかりが収まるまでしっかりと光を

抱きしめていたランティスが、腕の中でもぞもぞとする彼女に気づいた。

 「どうした?」

 「ちょっとだけ、痛いな、って。力いっぱい抱きしめるんだもん、ランティスってば」

 「すまない。どこかに飛ばされてしまうかと…」

 「あ、あれ、ペンダントが…、…ないっ!」

 光が首に手をやったり、服の胸元をぽんぽん叩いたりしてるのを、ランティスが怪訝な顔で見ながら尋ねた。

 「そこにあるだろう?」

 「へっ?ど、どこに?」

 光が自分の胸元を見下ろしてみてもそこにはなく、かといって服の下にもなっていないから慌てているのだ。

 「だからちゃんとお前の胸に…」

 そこまで言って、はっとしたようにランティスが手を伸ばし、断りもなしに光の胸元に触れた。抱きしめられることは数限りなく

あれど、胸に手を触れられたことなどこれまでの人生でお医者さん以外にない光は、ネコミミどころか、ネコしっぽまで生やして、

口をパクパクさせている。

 「あっ、あのっ、えっと、そのっ、ラ、ランティス…?」

 慌てふためく光を知ってか知らずか、ランティスは瞑目したまま、まだ光の胸に手を当てているので、フルオプション(ネコミミ

&しっぽ)に気づかない。

 「ああ、中に入り込んだんだな」

 そう呟いて目を開けたランティスの前に居る光は、真っ赤な顔をして、目にいっぱいの涙を溜めていた。

 「ヒカル…?」

 恥ずかしげな真っ赤な顔と、驚いた時に飛び出すネコミミ&しっぽと、いまにも泣き出しそうな瞳という、てんでばらばらな取り

合わせの光に、『異世界の物質が身体に入った拒絶反応だろうか…』と、眉根を寄せたランティスが、ようやく自分の手が触れて

いる場所に気づいた。

 「あ、…すまない」

 火傷でもしたように慌てて光の胸元から手を引っ込めると、ネコミミが出たままの頭をそっと撫でた。グルーミングでうっとりとする

猫のように、光も次第に落ち着きを取り戻していく。

 「お前の中に入り込んだようだ。だから失くす心配はない…、と思う」

 「は、入っちゃったんだ…。金属とか鏡とか、大丈夫かなぁ…」

 胸元を気にして服の上から何度も押さえる光の頭を、ランティスが安心させるようにぽむぽむと叩いた。

 「昔は、俺もそうやって持っていた。小さい子供が、ましてや男の子が首から下げるものでもないだろう?」

 「どこかに引っかけちゃいそうだもんね。ただ、健康診断のX線が…」

 「えっくすせん?」

 「オートザムあたりに似たようなものないのかなぁ。身体の中を透視する機械で検査するんだよね、だいたい年に一回。骨折

なんかの治療で使ったボルトとか写るらしいから、あの鏡のサイズなら確実に写っちゃうだろうなと思って…」

 「…写ると、まずいのか?」

 「うーん、普通にないものが写れば、再検査になるよ。私は事情が解ってるけど、それを地球の人に納得させられるかどうか」

 ポリポリと頬を人差し指で掻いている光に、そんなにまずいことなのかとランティスも考え込んでいた。

 「…もう一度、いいか?」

 「にゃっ?」

 「今度は触らない!かざすだけだ」

 微妙な言い訳をしながら、泣かれると弱いランティスは光の様子を窺う。断り無しも焦るのだが、断られればなおいっそう構えて

しまう光は、まだまだ困ったねんねちゃんだった。

 「え、あ、はっ、はいぃっっ!」

 思いっきり身構えられたことに複雑な表情を浮かべたランティスがあさっての方を向いて、掌を光の胸元にかざしてなにかの

呪文を唱えた。

 「――すまない、俺の知っている魔法では取り出せない。導師でも取り出せるかどうか微妙だが、聞いてみるか?」

 「クレフでもダメなの?」

 「父のかけた禁呪だろう。だとすると、導師は専門外だからな」

 「ランティスの前はザガートが持ってたんだっけ?中に入り込んでたもの、どうやって受け取ったの?」

 「無理言うな。赤ん坊の時の記憶なんかあるか」

 「あ、そっか。じゃあ、渡そうとした頃のこと、覚えてる?母様が取り出してくれたのか?」

 「…。いや、弟か妹がもうじき生まれると思ったら自然に…」

 「じゃあそういう対象が出来るまでは、私の中にあるの?」

 「そうなるかもしれないな。すまない」

 光の両肩に手を置いたランティスが、頭をコツンとぶつけるようにして光に詫びた。

 「どうしてあやまるの?ランティスの大切なものを勝手にしまいこんで、私のほうが申し訳ないぐらいなのに…」

 「しかし、検査で引っかかるんだろう?」

 「うーん、向こうの機械に写らないことを祈るよ。あとは、最後の手段に出るか…」

 「なにか手があるのか?」

 「女の子がX線を逃れる手はひとつだけあるんだけど、ね。学校でやるのは…ちょっと勇気がいるかも」

 「…機械を叩き壊すのか?」(もしもし?)

 「そんなこと、学校以外でも出来ないよ」

 「じゃあ、どうするんだ?」

 心配そうなランティスに顔を覗きこまれて、光は真っ赤になって両手で顔を覆って俯いた。

 「そっ、そっ、そっ、そんなにアップで迫られたら、い、いっ、言えないよぅ!」

 「どうして?俺も手を貸してやれるかもしれないだろう?」

 「え゛え゛っ!?『手を貸す』って…。あのっ、そのっ、えーっと、言い訳だけでいいから、別に実践してもらわなくても…。それに、

それは、まだちょっと……」

 気鬱なほうに感情が揺らぐことがあっても、今日はずいぶん妙なテンションになっているのを怪訝に思い、ランティスが俯いている

光の顔を上げさせて額に手を伸ばす。

 「な、なにっ!?」

 「…熱はないな」

 「な、な、な、ないよっ!」

 「顔が赤いし、変に上ずってるから、熱に浮かされてるのかと思ったんだが。で、どうやって検査を逃れるんだ?」

 「そんなに気にしなくていいってば!」

 焦りまくっている光の頬を両手で包み込んで、ランティスは優しく語りかける。

 「ヒカルひとりに面倒を押しつけているようで、気になるんだ」

 言わずに逃げられないと観念したものの、恥ずかしくてランティスの顔をまともに見られない光は、目線だけ思いっ切り伏せて

小声でボソボソと言った。

 「あ、あのね、お腹に赤ちゃんがいる人とか、『その可能性のある人』だけ免除なんだ…。でも、私、まだ、ちょっと、えーっと…」

 そこまで言われて、ようやくランティスにもさきほどからの光の不可解な反応の意味が解ってきた。『手を貸してやる』のが、光の

中でどういう意味になっていたかを悟り、ランティスはわざとらしく咳ばらいを一つした。

 「解った。それはヒカルに任せるから、そんなに怯えるな」

 光の頬から手を離し、ぽんぽんと光の頭を叩いているランティスの口許から、深いため息が零れる。服の上から軽く胸に触れた

だけでネコミミ+しっぽのお子様相手に、それ以上のことなんて出来る日が来るのだろうか。この少女との想いを成就するには、

恐ろしく忍耐強さを求められる気がするランティスだった。

 

 

 「あ、そだ!バレンタインデーに来たのに、渡すの忘れてた」

 執務机に置かれていた小さな紙袋から、光は綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出し、ランティスに差し出した。

 「覚兄様が出掛けるお許しくれたのが昨夜だったから、自分で作る時間なくて。だから、今年はお店で買ったんだ。ごめんなさい」

 光が選んで贈ってくれるものならそれだけでも嬉しく思えるランティスだが、この数年でこの日の贈り物が彼の不得手とする甘い

菓子だということも知っている。

 去年のバレンタインデー、ようやく心身ともに『起き出した』イーグルが、『飛びっきり甘いもの食べ尽くしちゃおうワールドツアー・

番外編』として、光たちから贈られた地球の甘い菓子の数々の中のひとつ『生チョコレート』を口にして、『この、すうっととろけていく

甘さが最高です!』と至福の笑みを浮かべていたのを思い出す。超甘党のイーグルの味覚にはとてもついていけないので、もちろん

ランティスは『ツアー参加』を辞退していた。

 「ヒカルに逢えるだけで構わないんだがな…」

 「ランティスが甘いもの苦手なのは解ってるから、チョコレートはチョコレートでも、とびっきりビターなやつ選んだんだ。だから大丈夫

じゃないかな。ひょっとしたら薬草のティアナぐらい苦いかも…」

 ティアナの苦味の記憶が口の中に蘇り、一般的には楽しむために食する菓子を苦くする感覚が解らないランティスが眉をひそめた。

 「ちょこれーとは甘さを楽しむために食べているんだろう?」

 「うん。私は甘ぁいミルクチョコレートが好きだよ。海ちゃんが言うには、ビターチョコレートは大人の味なんだって。それに最近は

その苦味が身体にいいって流行ってんの。ランティスは魔物退治で夜中にお仕事することも多いし、健康管理にも気を配らなきゃね」

 お子様なわりに、発想が妙に所帯じみているのは、あの長兄の影響なのだろうかと、ランティスはくすりと微笑った。

 「なに? 私、変なこと言った?」

 「いや。開けても構わないか?」

 「もちろん!感想聞きたいし」

 リボンを解き、包み紙を丁寧に開けるランティスを見ながら、光がいたく感心している。

 「ランティスって几帳面だね。翔兄様なんかせっかく選んだラッピングもビリビリに破いちゃうんだよ」

 本当は光に貰ったものだけが特別扱いなのだが、わざわざアピールするのも憚られてランティスは黙って作業に専念した。中箱の

蓋には『Cacao99%』と書かれているが、もちろんランティスには意味が解らない。

 「その『Cacao99%』が一番苦いんだ。私も勉強の合間に食べようと思って買ってあるんだけど、それは普通のミルクチョコなの。

70%と85%もあって試食させて貰ったんだけど、70%でギブアップしちゃったから、実はランティスの分、試食してないんだ」

 ペロッと舌を出してみせる光に「俺は実験台か」とも言えず、薄く小さくカットされた一片を口に入れた。確かに甘さはかけらほども

感じない。

 「ティアナぐらい苦い…?」

 「それはどうだろう。自分で試してみたらどうだ?」

 「だって、それより苦くないので挫折しちゃったもん。ひとかけらも食べられないよ」

 ランティスはもう一片口に放り込み、チョコレートが溶けてきたところで光を膝に座らせ、小さな顎に手をかけて低くささやいた。

 「少しだけ、分けてやろう…」

 重ねられたくちびるから苦いチョコレートがとろりと流し込まれていく。あまりの苦さに驚いて逃れようとする光を、ランティスはきつく

抱きしめて逃さない。さっきのくちづけより、もっとずっと深く光を追って、応えるようにと誘い出す。

 「ん……ふっ…」

 チョコレートの苦味が喉へと落ちていったあとは、今までとは違うキスの甘さに融けてしまいしそうなほどだった。恋人のくちびるを

貪るだけ貪ったランティスが、ぽうっとなっている光の耳元で問い掛ける。

 「苦かったか?」

 「うーん…。でも甘かったかも。あれ?わかんなくなっちゃった」

 「ヒカルが解るまで、何度でも…」

 「あのね、…甘いほう…だけがいいな…」

 耳朶をくすぐるようにつぶやいた光に、ランティスは言葉ではなくくちびるで応えた。

 

  

 

 

  ――――とろけるほどに甘いものも、

                 なかなか悪くない――――

 

                                                 2010.2.4    

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仮にも両想いなのにキスの一つも出来なかった『Silent....』の後日談です

(うちのランちゃんは何気にオアズケ率が高いし・笑)

まぁ、相手があの光ちゃんですから、若紫育てるつもりで気長にね

(といいつつ、ランティスが源氏の君みたいにプレーボーイだったらヤだな)

『Silent....』にも出てきた鏡のペンダントは、アニメ版限定のアイテムです(こんなところで出してみる)

ちなみに、小鳥についばまれるのは、かなり痛いです(セキセイインコの場合)

くちびるが荒れてたりすると、容赦なくむしられます(ウチのが凶暴なだけだろうか…)

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