Station Aquarium

 イーグルが紅茶を淹れ、ジェオがとっておきのオレンジ・シフォンを切り分けていた。甘さ控えめに仕上げてきたという

ジェオの言葉にも、ランティスは首を縦に振らなかった。

 「俺は紅茶だけでいい。ストレートで」

 「オレンジ・ピールきかせた自信作なんだがなぁ。付き合いの悪いヤツだぜ」

 「悪かったな」

 「んー・・・。オレンジ・ピールが爽やかでほろ苦くて、大人の味ですね」

 ジェオお手製のシフォンケーキを口に運びながら、イーグルは至福の笑みを浮かべていた。

 ロイヤルコペンハーゲンのカップ&ソーサーを手にしたランティスは開け放った窓の桟に腰掛けていたが、今日の覚は

それを注意することもなかった。ほうけているのはミス聖レイアだけではなかったかと、仕方なさげにランティスが口を開いた。

 「…で、何をやったんだ、お前」

 「別に」

 「おいおい、『別に』ってこたねーだろ!?学院一の才媛のあのぼけっぷりはただごとじゃないぜ?」

 「僕ならタトラにあんな目で見つめられたら、100%やましくなくたって謝りますね。大切な女(ひと)にあんなせつない顔を

させるのが罪ですから」

 「どうして話がそうオーバーになるんだ。今度の日曜に生徒会の所用に二人で出向く予定があった。それを変更して貰った

だけだ。これまでにだってなかった訳じゃない」

 「…ぁン、それだけかよ?」

 「それだけだよ。午前中のは彼女一人で出向いて貰って、午後の分はランティスに振った」

 「で、サトルはどこに?」

 「剣道部の≪聖堂戦≫に同行する。今年は堂浦高等学校まで遠征だから一日がかりになるんだ。これのどのあたりが

やましいんだ?」

 「……」

 ランティスが副会長に据えられてはいるが、校外での行事のほとんどは覚一人か覚が空を帯同してこなしていた。

 「オフィシャルな用向きとは言え、貴重なデートじゃなかったんですか?鳳凰寺家のお嬢さんじゃ、プライベートには

そう頻繁に連れ出せないでしょう?」

 「…道場の娘もなかなかガードがキツい…」

 ランティスがぼそりと呟いた。

 「それでは公私混同だ…」

 「ったく、生真面目だねぇ。役得って思やいいんだよ、役得ってな」

 話を聞いているだけで肩が凝るとばかりに、ジェオが首をクキッと鳴らしていた。

 「デートでも生徒会の所用でも、名目なんてどうだっていいですよ。あなたにとって大切な時間だったのなら、それは

彼女にとっても大切な時間だったのではありませんか?」

 「だから、この件に関してはもう謝ってるよ。彼女も『気にしてない』って言ったんだ」

 「気にしてないようには見えなかったがな…」

 「その言葉を額面通りに受け取っていいとしたら、他に気掛かりがあるってことになりますよ?」

 「しかもそいつぁサトル絡みのことなのかもな」

 三人の咎めるような視線に気づかぬそぶりで、覚は紅茶を飲み干していた。

 

 

 

       艶やかな黒髪を緩く束ねた長身の美丈夫がブラックウォルナットの大きな机の前に直立する覚に横顔を見せ…、

      というより椅子をまるっきり横に向けて長い脚を組み、軽く組み合わせた手を膝の上に置いていた。

       『さっきから相槌もなければ、ぴくりとも動かない…。喋らせるだけ喋らせて居眠りしてるなんてことは……』

       微かな疑念を抱いて口ごもった覚を見透かしたように、この部屋の現在の主が口を開いた。

       「どうした?話はまだ途中のようだが…」

       「あんまり静かだから寝てるのかと思って」

       「この部屋にいる時は生徒会長として執務中だ。居眠っててどうする」

       後年その男の実弟に聞かせたいような言葉を吐いたのは、Aquarius≪宝瓶宮≫(高等科二年)のザガート・

      アンフィニだ。覚と幼稚舎で意気投合したランティス・アンフィニの四つ上で、高一から高等科生徒会を仕切る

      切れ者だ。

       どこまで言ったかなと反芻し、ひとつ咳ばらいをして覚が続けた。

       「……以上を鑑み、来年度以降の≪ちいさき薔薇の舞踏会≫デビュタント向けダンスレッスンを男女別に

      行うことを提案します」

       パン、パン、パンとゆったりとよく響く拍手をするとザガートはふっと微笑った。

       「よく出来ました、だな。花丸をつけてもいい」

       「幼稚舎生じゃあるまいし…、遠慮します」

       「『お前が欲しい』という私の意向はいまも変わらない…」

       くるりと椅子の向きを変え、覚を見据えるザガートの眼は真剣そのものだった。

       「まだ言ってるんですか。戯れはほどほどにしておいて下さい」

       「私がそんな冗談を飛ばすとでも?むしろこの件で見込んだ通りだと確信を持ったぐらいなのだが」

       「入学式直後のLibra≪天秤宮≫(中等科一年)生をつかまえて『生徒会入りしろ』だなんて、冗談じゃなきゃ

      なんなんです?」

       「だから冗談ではなく本気だと言ってる」

       また平行線を辿りなおす羽目になるのかと、覚が大きく息を吐き出した。

       「クラス委員長には選出されたんですから、こき使って貰って結構ですよ。それで手を打って下さい」

       「下僕が欲しい訳じゃない。その程度の人材には困ってないからな」

       学院創立者の曾孫にあたる当代高等科生徒会長の物言いはかなりのものがあった。

       『黙っていたら間違いなく女生徒の憧れの的なのに、辛辣だからなぁ…』

       「創立以来合同で行ってきたダンスレッスンを男女別にする…お前が先程述べたのは『教えられる側』の論理だ。

      確かに時代の流れとともに一般家庭の子女が増え、ダンス未経験者も増加傾向にある。かたや『教える側』の

      論理を言えば、手間が倍になる訳だ。学院外からダンス教師を招聘している現状では、倍加した時間の分の

      ギャランティーも上積みせねばならない」

       「……」

       報酬の点を指摘されると覚も痛かった。学院の体育教師が出来れば話は早かったのだが、ワルツとなると

      勝手が違うらしく、約一ヶ月間ダンス教師を招いているのだ。

       「何も学院の財政状況が芳しくない訳ではないが、これまで数十年一定していた支出を大幅に増額するとなると

      それなりの理由が必要だ。それには少し根拠が弱いな」

       「弱い、ですか…」

       そのまま答えに窮している覚を見ていたザガートが、微苦笑を浮かべて助け舟を出した。

       「どうせなら支出を限りなく零に近づければいい。それなら小うるさい理事の口も塞げる」

       ついさっき『ギャランティーが増える』と言ったその口で真逆のことをするりと言うザガートに覚は目をしばたかせて

      いた。

       「何の魔法です、それ…」

       「魔法?そんなものは使わん。この学院に於いて、球技大会をありがちなクラス対抗にしない理由はなんだ?」

       「…確か、『学年を越えた交流により社交性を確立する』・・・・・あ、先輩に教えてもらえばいい!上手に踊れる

      先輩はごまんといるんだから。タダじゃあんまりだから、多少の謝礼をつけて」

       「正解だ。三重丸の花丸をやろう」

       「だから、それは要りませんって…」

       「その理念から言っても、生徒会が中等科と高等科に分かれている現状は組織と時間の無駄だ。初等科の

      児童会会長が六学年三百名を統べるのだから、中等科三学年・高等科三学年、計六学年三百名を一人で

      統べられぬ訳がない」

       「そうは仰いますが、だからといって一番下っ端の、Libra≪天秤宮≫生の僕がいきなり新生生徒会の副会長に

      立候補っていうのは、飛躍しすぎてませんか…?」

       入学式の直後にザガートから持ちかけられたのは、計画中の中・高等科生徒会の組織改革を断行するから、

      秋の改選に副会長として立候補しろという、覚にしてみれば荒唐無稽な話だった。

       「三期足掛け二年初等科を統べていた奴が、何を弱気なことを」

       「初等科と中・高等科じゃ、だいぶ勝手が違いますよ」

       ザガートはため息混じりの覚の顔を見ながら、くくっと笑いをもらした。

       「そうだな。『初等科の一年生が児童会会長に直談判に来た』という話は聞いたことがない…」

       かぁっと覚の頬に朱が差した。普通に考えればLibra≪天秤宮≫生がAquarius≪宝瓶宮≫生の生徒会長に

      何かを直訴するなんて、相当に度胸がいるだろう。覚にしてみても面識のない中等科生徒会長よりは、親友の

      兄である高等科生徒会長のほうが知己である分話しやすいからとここへ来たのだ。中・高等科合同の行事が

      多数存在する以上、いちいち各々で話をまとめた上でまたすり合わせ…というのは、ザガートの言うように時間の

      無駄ではある。

       「判りました。立候補はします。でも当選するかどうかは判りませんよ?」

       「私が黙って見ているとでも思うのか?お前が使えることは

      秋までに実証しておいてやろう。存分にこき使ってな」

       見ようによっては凄絶なその微笑に、早まったことを

      言っただろうかと覚は思わず背筋がぞくりとなった。

       「どうぞお手柔らかに」

       「曲がりなりにもこの学院は名門として名が通っている。

      お前がそれを統べる者であれば、『たかが町道場の

      小倅(こせがれ)』と口の悪いことをいうどこぞの御大も

      少しは見る目を変えるだろう」

       どうしてこの人はそんなことを知っているんだと内心で

      舌を巻きつつ、覚は肩を竦めていた。

       「そうなればいいんですけどね」

       「この週末から土日はうちに来い。ワルツを一から

      叩き込んでやる。お前の下も来年にはLibra≪天秤宮≫に

      上がるのだろう?それも連れてくるがいい。何度も手間を

      かけさせられるのは、私は願い下げだからな」

 

       そうして覚と優、そしてザガートに恐れをなした優が翔をも道連れにし、獅堂三兄弟は地獄のワルツ・レッスンに

      飛び込んだのだった。

 

 

 

 ≪聖堂戦≫を終えた帰り道、駅の混雑の酷さに眉を寄せた覚が剣道部長である翔に言った。

 「まとまって動くのははた迷惑になりそうだな。このままここで解散にしたほうがいいんじゃないか?」

 「確かに。メーリングリスト送ろっと。気づけよ、みんな」

 現地解散を通知するメーリングリストが着信したのを確認すると、覚が優に声をかけた。

 「僕はちょっと野暮用で寄り道していくから、気をつけて帰れよ。じゃあな」

 「じゃあなって、兄さん…!」

 あっという間に人込みに消えてしまった兄に置き去りにされ、弟二人は顔を見合わせていた。

 「野暮用だってさ」

 「…その為に解散させたのかよ、覚兄(にぃ)…」

 末弟の読みはなかなか鋭いところを突いていた。

 

 

 

 私立高等学校連盟生徒会役員交流会に出席するといっていた他校の生徒会長からのメールが覚に届いたのは、まもなく

その駅につくという頃だった。

 『うーっす。そっちは終わったのか?タルい茶会もやーっと終わったよ。見目麗しいカワイ子ちゃんは今回も居なかったぜ

(ー_ー;) フウ。お前の愛しのミス聖レイア、元気なかったぞ。あとでちゃんとフォローしとけよ[壁]`∀´)Ψヶヶヶ

 『連絡サンキュ。ただし覗きはお断りだ』

 壁から覗くが如きの顔文字に文句をつける返信を打ち終わると、電車がホームに滑り込んだ。

 この駅にきたら、空はいつもほんの少しだけ寄り道をすることを望んでいた。一人でいる今日も、そこに寄ってくれてれば

いいと思いつつ、覚は先を急いだ。

 その場所へと急ぎながら、覚は通りすがりの店に目を奪われていた。小さなフローリストの店先にあふれんばかりの

色とりどりの花。さまざまな色の薔薇が並び、壁には色ごとに違う薔薇の花言葉を書いたポップが貼り出されていた。

 Libra≪天秤宮≫生として初めて≪ちいさき薔薇の舞踏会≫に臨んだ時、空にコサージュの交換を申し込むにもあまり気の

利いたことは言えなかったと自覚していた。その後回数も重ねてきたが、はっきりとした言葉にしなくても応えてくれる空に

ずっと甘えてたようにも思えた。

 生まれながらに背負うものの大きい彼女に、自分自身の気持ちを伝えていいのかどうか覚はずっと迷っていた。自身にも

背負うものがあり、投げ出すことを良しと出来ないからだ。

 告げないままでいることで空が揺らいでしまうなら、お互いの気持ちを確かめあうことから始めてもいいのかもしれない。

言ってみても何も変わらないのかもしれないが、一人よりは二人のほうが、きっとずっといいはずだ。

 それでも立て板に水のごとくに口説き文句を並べることは出来そうになかったので、いまの自分の気持ちに一番近い

花言葉の薔薇を贈ろうと思った。

 毎年のように空の制服の胸を真紅の薔薇が飾ってきたが、柔らかな雰囲気の彼女にはどこかそぐわない気がしていた。

 「『ピンクの薔薇の花言葉・・・美しい少女、上品、しとやか、気品』・・・・ほらな、やっぱり空にはピンクのほうが似合ってる

じゃないか」

 本人の前で言えばいいようなことを呟きながら、その続きにある言葉を見て、覚はきっぱりとピンクの薔薇を買うことに

決めた。ひとくちにピンクといってもさまざまな色調があり、すぐには選びかねていた覚が淡いベビーピンクの品種の一つの

名前に目を留めた。

 「すみません――これを五本、束ねて貰いたいんですが…」

 

 

 

 設置された当初と比べ、いまはわざわざ立ち止まる人も少なくなった駅構内のアクアリウムの一角で、空がぼんやりと

水槽を見つめていた。

 「綺麗にお手入れされた水槽で、ちゃんと餌も貰ってるけど・・・・こんなところにいて幸せなのかしら・・・」

 水槽に閉じ込められた魚と自身を重ねたような空の呟きが耳に届いて、覚はぐっと手にした花束を握りしめていた。

 「…ここにいてくれてよかった」

 「覚さん…どうして?」

 「妹にちょっかいかけてるどっかのバカが、空を一人でこんなとこまでやったっていうから迎えに来たんだ」

 「高校生なんですもの。このぐらい、一人でも平気です…」

 ほんの少し拗ねたような口ぶりの空が目線を伏せる。剣道帰りで大きな荷物を抱えているにしても、左手を後ろに回した

ままのやや不自然な格好で覚は空に歩み寄った。

 「すまなかった」

 「そんなこと…。総師範でいらっしゃるお父様の名代ですもの。仕方ありませんわ」

 『私から≪鳳凰寺≫の名が離れないように、覚さんには≪獅堂流総師範の長男≫という立場がついて回るのだから』…

そんな諦めに似た想いがその言葉の裏に溢れていた。

 「今日のことばかりじゃない。――君が抱えているものも、自分の立場もわきまえてるつもりだ。だから言わないほうが

いいのかもしれないと思ってた。生徒会長と書記としての仕事にかこつけて、一緒にいられるだけでもいいじゃないかって

ずっと自分に言い聞かせてた」

 言い聞かせていたのは空も同じだった。Libra≪天秤宮≫生だった秋、ザガートの宣言通りに新生生徒会副会長に

立候補することになった覚の、『空はノートを取るのも早いし、なんてったって文字が綺麗だから、書記になってくれると

助かるな』との言葉にほだされるように書記に立候補したのは、ひとえに覚と共有する時間が欲しかったからだ。

 思い悩んでいるだけでも時間が過ぎてしまうのなら、少しでもそばに居たかったからだ。

 肩に担いでいた剣道具入れを下ろし、後ろ手に隠していた小さな花束を覚が差し出した。

 「将来のことをどうしたらいいのか結論を出せた訳じゃない。でも空のことを誰より大切にしたいとずっと思ってるから、

≪ちいさき薔薇の舞踏会≫で、今年も踊ってもらえるだろうか…?」

 今年で五回目になる舞踏会。これまで伝えなかった覚の想いを冠した薔薇の名前を空はするりと口にした。

 「この薔薇…、≪初恋≫かしら」

 「…どうして知ってるんだ」

 いきなり言い当てられてしまい、練っていた筈の言葉が頭から飛んでしまっていた。

 「この駅のお花屋さん、とても珍しい薔薇を沢山揃えてあるんだわって、行きがけに気になってましたから」

 箱入り娘ゆえに一人で店に入ってランチする度胸は持ち合わせておらず、早めに着いたこちらの駅で目に留まった

花屋を空も覗いていたのだ。

 「あー…、その、空には…、こういう柔らかいピンクのほうがよく似合うよ。うん、花言葉から言っても絶対だね」

 あの店のポップは空も見覚えていたので、そんな想いを重ねて覚がこの花を選んでくれたのが嬉しかった。

 覚の手から受け取った花束を胸に抱いて、空は花開くような可憐な笑みを浮かべていた。

 「いつか覚さんに……、このお返しとして大輪のピンクの薔薇を差し上げたいですわ」

 「え・・・?」

 今ではなく『いつか』なのかと戸惑う覚に空が言葉で付け加えた。

 「――私でよろしければ、よろこんで…」

 舞踏会でダンスを申し込まれた時のように空が差し出した手をぐっと引き寄せて、覚はささやいた。

 「…君が、好きだ」

 空が手にした薔薇の花束に隠れて、二人はそっとくちびるを重ねた。

                                             

                                       

 

  

                                          2011.5.22up

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      ≪初恋≫という品種の薔薇は 棘の王国(いばらのおうこく)さま のベビーピンクの品種のページでご覧になれます

      ピンクの薔薇の花言葉…美しい少女、上品、気品、しとやか、わが心、君のみが知る

      大輪のピンクの薔薇の花言葉…赤ちゃんができました

      ・・・・・・なのだそうです(*ノノ) キャー

 

                            このお話の壁紙は Tohmin熱帯魚さま よりお借りしています