蒼空の剣  翠陸の盾

 

 光はミゼットの打ち合わせのために城下町へと出かけ、ランティスは執務室で書類を

捌いていた。かつてエメロード姫の親衛隊長をしていた頃より格段に増えたデスクワークに

さすがのランティスも閉口気味だった。

 

 

 

 実質面がまだまだとはいえ、表面的、あるいは対外的にはセフィーロの≪柱≫制度は

無くなったことになっている。平原に孤としてそびえ立つ尖塔のてっぺんでひとり天を

支えるが如き旧来の制度をやめ、この地に住まう誰もが、それぞれ出来うる範囲で

この世界を支えていこうと道を模索しているところだ。

 かつてランティスが、そしてその後任についたラファーガが務めた親衛隊長という役職は、

≪柱≫の身辺警護が主な仕事だった。もっとも、≪柱≫に仇なすような不埒者はかの

神官の他になく、夜の魔物退治に駆り出されるのがほとんどだった。昼寝ばかり決め込む

ランティスなどは、ザガートからよく小言を貰っていたものだ。

 ≪柱≫がいないならその役職も不要なはずだが、セフィーロ王家の警護の問題は残った。

崩壊前のセフィーロでは王城と≪柱≫の住まいが離れていた為に、城には近衛隊が

配されていた。

 エメロード姫の消滅とその後の戦乱からの復興に追われ、形式的な組織の再編は

これまでずっと先送りにされてきていた。

 

 セフィーロ王家の最後の一人…先の≪柱≫の弟に当たるフェリオ王子は…昨年妃を迎え

先頃待望の姫を得ていたが、近衛隊の再編成に当初難色を示していた。

 もともと堅苦しい王族暮らしを嫌って武者修業の旅をしていたので剣の腕は相当に立つ。

そしてその妃となったのは危機に瀕したセフィーロを救った伝説の魔法騎士の一人だ。

『自分たちの身ぐらい自分たちで護れる』というのが彼らの言い分だった。

 だが結婚後ほどなくして妃の懐妊が明らかになると、フェリオはすみやかに白旗を掲げた。

遥か遠いこの地に嫁がせることに一度たりとも否と言わなかった妃の里からも、『どうか

無理をさせないでほしい』と文が届けられたからだ。クレフはクレフで、『これで対外的にも

体裁が整えられる』と一息ついていた。

 前任の近衛隊長はかの戦乱の最中に斃(たお)れたという。エメロード姫が≪柱≫を継承した

のと同時に親衛隊長に任ぜられたランティスと、そのランティスの出奔後に親衛隊長に

据えられたラファーガのどちらかを再任させる方向でクレフは考えていた。

 内々に呼び出され二人はクレフにその意向を聞かされた。≪この地に住まう者≫としての

自主性に訴えることにしたのだろう。かつてエメロード姫を護りきれなかったことに対する

後悔の念が強いラファーガの顔には、面目なさのあまり二度目の拝命はありえないという

思いと、だからこそ姫の愛したこのセフィーロの為に尽くしたいという思いとがありありと

浮かんでいた。

 相容れないことも少なくないが、信義の篤さといい、剣闘師としての腕といい、十二分に

信頼に足る男であることを確信していたランティスがラファーガを推した。

 魔法剣士であるランティスと、剣闘師であるラファーガでは、魔法のアドバンテージが

ある分、世間的には魔法剣士のほうが数段格上に思われている。剣術を究めるだけでなく

高位魔法の使い手でもなくてはならないからだ。当代もランティス一人だが、それ以前も

二人いた時代が記録に残っていないほど稀有な存在なのだ。なにゆえにそのような男が

自分を推すのかと、ラファーガには戸惑いの影さえさしていた。

 「…『お忍び三昧の王子の身辺警護では昼寝が出来ん』などという理由じゃなかろうな」

 「それもある」

 「な…っ!」

 「冗談だ」

 「九割がた本音だろう。内弟子時代から気がつくと姿をくらまして、ザガートに捜させると

木の上で寝こけておったからな…」

 親代わりがこう愚痴りだすのだから、まるで冗談に聞こえない。師の暴露話を遮るべく

ランティスが続けた。

 「お忘れですか、導師。俺の兄は謀叛人だ…」

 たとえエメロード姫への愛ゆえの行為でも、否応なく巻き込まれた異世界の娘たちが

許そうと、あの戦乱で命を散らした無辜(むこ)の者たちとその家族を思えば簡単に赦されて

いいことではないだろう。

 まさかと思いながら、その可能性を1%も考えなかったとは言い切れないランティスは

共謀者と謗られても致し方ない。その自分が再び親衛隊長という晴れがましい役職で

表舞台に出ることが相応しいとは到底思えなかった。

 「ランティス…。まだザガートを赦してやれんのか」

 子供のいないクレフにとって、兄弟同様に育ったクルーガーとキャロルの忘れ形見の

ザガートとランティスは我が子も同じだった。この世に二人きりの兄弟が互いに力を

尽くせるよう、クレフは≪柱≫の神官と親衛隊長に取り立てた。若輩者に過ぎるのでは

ないかという懸念の声も上がったが、それを封じるだけの実力は二人ともが有していた。

 ≪柱≫を護り支えた両輪はいつしか道を違(たが)え、そのひとつは想い交わした≪柱≫と

ともに、煉獄へ堕ちることをも厭わなかった。

 「赦す、赦さないを決めるのは俺じゃない」

 もしも光が≪柱≫制度の変革を望まず、あるいは思いつけず、旧態依然の≪柱≫として

このセフィーロという国に囚われてしまっていたなら、ザガートと同じ道を選ばないという

自信はなかった。もろともに逝くことなど望まないにしろ、異世界で待つ家族の許に還す

為に、いや、この腕の中に取り返す為に如何なる手段でも撰んだだろう。

 いまのセフィーロは極度の人手不足状態にある。≪柱≫ひとりにすべてを頼っていた

昔と違い、様々な厄介事が増えていた。

 崩壊寸前の頃程ではないにしろ、≪柱≫が健在な御世に較べれば遥かに魔物・魔獣の

徘徊は多くなっていた。

 ≪柱≫がいないことに不安を覚える民の心が知らず知らずのうちに魔物を呼び、この

セフィーロに生きる命であることを主張し咆哮し始めた魔獣が勢力を増していた。≪柱≫の

祈りは他者を害そうとするモノを抑え込んでもいたが、そのタガが外れてしまった以上

予想された事態ではあった。

 自らを、そして家族を護る為に剣術を学びたいと望む者も増え、とてもラファーガだけでは

捌ききれなくなった頃、『このセフィーロに住まう者として、お前も手を貸してやらんか』と

クレフに諭され、ようやくランティスは重い腰を上げた。日常的な剣術指南程度ならば

そう目立つこともない。フェリオの補佐に忙しいクレフの代わりにデスクワークを片付けたり、

同盟三国へ出向くほうがセフィーロの民の目に触れないだけまだしも気分は軽かった。

 

 光たちが高校に上がった頃、かねてから準備が進められていたψ(サイ)計画が本格的に

始動し、オートザムとセフィーロを頻繁に行き来する必要のあるランティスではとてものこと

王子の警護には当たれないというのも大きな理由だった。

 魔法の使い手でもあり、すでに一線級の操作適性のあるランティスが統括部隊長に

なってはどうかと、システムの供給源であるオートザム側から提案があった時は、渋々ながら

それを飲んでいた。

 なにしろオートザムからNSXで持ち込まれたシミュレータで適性テストを実施してみた

ところ、誰ひとり無事に降りられなかったのだ。

 フェリオはベイルアウト(コンピュータ判断による適性テストの強制終了)二回、アスコットは四回を経て

なんとか慣れて適性を認められた。だが、どうしても体質が合わなかったのかラファーガは

ベイルアウト十回でファイターパイロット不適合宣告を受けるに至っていた。

 王子や招喚士、それどころかこの国唯一の魔法剣士に決して引けをとらぬ偉丈夫も

異国の機械兵器の恐ろしいまでの乗り心地の悪さには、無念の思いを噛み締めるしか

ないようだった。

 そういった経緯もあり、ラファーガは旧近衛隊の職掌をもカバーする親衛隊長として

地上部隊の指揮に専念し、ランティスは新設する防空機動部隊統括として部隊の編成から

訓練を任されることになったのだった。

 いずれ正式に配備されれば、ランティスの率いるFTO−ψ部隊はこのセフィーロの空を舞う

護りの刃となるだろう。だがいかに名刀でも取りこぼしは必ずあるものだ。そのとき背後を

守るものは相応のものでなくてはならない。そういう意味においてもラファーガ以外に適任と

呼べる人材はいまのセフィーロにはいなかった。

 

 

 

 『……今日の打ち合わせ終わりっと。ランティスは午後お休みって言ってたっけ・・・。

いいお天気だから一緒にお出かけしたいなぁ……』

 さらさらと書類に署名を入れていたランティスに、城下町にいる光の独り言めいた思念が

届いた。

 ≪おいランティス…、さっさとヒカルのあれをなんとかしろ。うるさくてかなわん≫

 ≪・・・努力します≫

 クレフが≪声≫で届けた文句に、ランティスが一応の詫びを返していた。光のあれは

本人は独り言のつもりでいるが、≪柱≫に選ばれるほどの桁外れな力を有しながら

きちんとした訓練を積んでいないせいで、遠くの者に思念を届ける魔導師の≪声≫として

無差別に駄々漏れの状態にあった。

 不特定多数に受けてもらいたい≪声≫と、特定の誰かに届けたい≪声≫の使い分けが

出来ていないせいで、それなりの力のある者たちには丸聞こえという実に困った有様だった。

 本来は魔導師として受ける訓練の一環であるので、一番指導に長けているのはクレフ

なのだが、『嫁の面倒はお前が見ろ』とばかりにその指導役をランティスに押し付けていた

のだった。もとより光のことを他人任せにするようなランティスでもなかったが。

 これだけ天気のいい日なら、沈黙の森に踏み込んでもそう薄暗くはないだろう。魔法の

使えぬ森として名高いが、ごくごくピンスポット的に使える場所はあり、そういう所を選んで

ランティスは光の魔法の訓練の場としていた。

 ピンスポット内で失敗したとしても、それを覆う沈黙の森が魔法の効力を吸い取る安全

装置の役割を果たしてくれるからだ。そうでなくては・・・魔法的じゃじゃ馬ならしは危ないこと

この上ないのだった。

 

 ≪・・・ヒカル、そのまましばらく待てるか?迎えに行くから出かけよう・・・≫

 『わぁっ!ちゃんと届いたんだ!?ランティスに聞こえたらいいなって思ってたんだー。

その辺のお店冷やかして待ってる。お昼がまだなら、ランチも一緒にしよっ!!』

 ≪・・・そうしよう・・・≫

 ランティスは確実に光だけに≪声≫を届けたが、相変わらず返事はスピーカーモードで、

そこいらじゅうの魔導師たちにデートの報告をしているに等しく、からかわれるネタが増える

ばかりのランティスだった。

 

 

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ミゼット…光がセフィーロに開設しようとしている幼稚園のようなもの。ダイハツ ミゼット より

クルーガー、キャロル…辺境の魔導師の隠れ里にいたランティスらの両親。トヨタ クルーガー、マツダ キャロル より

FTO−ψ…結界の消えたセフィーロを護る為にオートザムで開発しているFTOの魔法使用モデル。トヨタ SAI より

≪声≫…魔導師同士が遠隔地の連絡に使う、思念波の一種。

 

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