ミニ薔薇戦争
―― ≪ちいさき薔薇の舞踏会≫ 当日
午後の二限が短縮で終わると、男子はα、女子はβの教室で舞踏会の衣装に着替える
ことになる。全校生徒が参加するのでクラブハウスではとても間に合わないからだ。
中等科生はアクセサリーと口紅のみ可、高等科生はアクセサリーとナチュラルメイク程度は
可ということで、βの教室は例年きゃあきゃあとにぎやかだ。級友のアクセサリーや口紅の
色のほうがもっとドレスに似合うからと、貸しあい借りあいはよくある光景だった。
正式なデビュタントは男子は燕尾服、女子は白のイブニングドレスと決まっているようだが、
そこは日本の学校行事、ドレスコードは幾分緩めだった。いかに名門校の子女とはいえ白い
イブニングドレスでは他の使い道に困るだろうと、カクテルドレスまで許容されていた。男子の
ほうもタキシードまで可で、経済的理由から誂えはちょっと…という生徒にはレンタルまで
用意されていた。育ち盛りの年代で毎年のように仕立て直す生徒も出ることから、サイズの
合わなくなったものを舞踏会貸し出し用に寄贈する上級生も少なくなかった。
結局母はにこにこはぐらかすばかりで、誰がドレスを見立ててくれたのかを光に教えては
くれなかった。
着替え終えてみつあみを解き髪を調えていると、支度を終えた風と海がやってきた。
「とても可愛らしいドレスですね」
「首もとのリボン、Tストラップシューズの色合いとお揃いで買ったみたいにバッチリじゃない。
光らしくていいわよ、ドレスのデザイン」
「えへっ、そうかな。でもこれ誰かが見立ててくれたんだ。多分靴のことも知らずに」
「誰かって、誰よ?」
「母様は知ってるみたいなのに教えてくれなくて、『当日になれば解る』って…」
「お兄様がたではないのですか?」
「うーん、解んない」
「口紅にすればいいのに、リップグロスにしたの?」
「あははは。口紅はなんか落ち着かないから…」
「光さんは血色が良くていらっしゃるから、グロスでも充分お綺麗ですわ」
「海ちゃんも風ちゃんもしっかり口紅なんだね」
「そりゃあ学校で公然と許されてるんだもの」
Libra≪天秤宮≫βの副委員長がやって来て風に話しかけた。
「αのみんなも開けてもよさ気よね…?」
ひとしきり見回した風が声を上げた。
「みなさ〜ん、お支度は調われましたかぁ?」
「「「はーいっ!!」」」
一呼吸待ってβの副委員長が出入り口を開けると、燕尾服やタキシードで正装した、いつも
よりカッコ良さ五割増しぐらいの男子がパートナーを迎えにやって来ていた。ごった返すβ前
廊下を光がすり抜けると、なぜか海や風もそれに続いていた。
「あれ?どうしてついて来るんだ?」
「違うわ。私の進行方向に光がいるんじゃない。『人が溢れてるところはちょっと…』って
言うから仕方ないのよ。まったく世話が焼けるったら…」
球技大会のハチマキ・ボックスが置かれていたエントランスが海とアスコットの待ち合わせ
場所だった。
「Scorpius≪天蠍宮≫の教室は二階ですから、階段下が妥当なんですけれども、通り道は
混み合いますからエントランスにしましたの」
やはり球技大会中、カルテットの練習に鳳凰寺家にお邪魔するフェリオと風が待ち合わせを
したのも正門やエントランスだった。
「先ぱ…、じゃなくてランティスは東館二階だから、西館一階まで来て貰うの悪いじゃないか。
だから真ん中で…」
初等科の頃には、『教室からエスコートして貰う』というシチュエーションに憧れていたが、
くじ引きするまでパートナーが決まらなかった級友たちに見せびらかすようでなんだか気が
引けたのだ。
「うっわー、光ったら、『先輩』から『ランティス』に呼び方が変わってるし〜!」
海の指摘に光はリボンより真っ赤になっていた。
「だ、だって…『1/250はごめんだ』って言うから、仕方がないんだったらっ!!」
「…なによ、それ?」
「各学年50名ほどですから、私たちには約250人の先輩がおりますわね」
「ピンポン♪さっすが風ちゃん!」
「『その他大勢と同じ扱いをするな』ってコト?朴念仁が言う言う…」
呆れ顔の海に光がとりなす。
「せ…、ランティスは朴念仁じゃないってば!」
「そう思ってるのは光だけよ」
「それもよろしいのではありませんか?光さんがお幸せなら」
なんだかんだと言い合いながら(主に光が肴にされながら?)エントランスに着くと、珍しいスリー
ショットが出来上がっていた。 燕尾服が身に馴染んだランティスとフェリオ、そしてタキシードの
シャツの襟元に指を入れて窮屈そうに息を吐くアスコットだった。
「あれ…。先…、ランティスとフェリオが話してる」
スリーショットと言いながら、アスコットはランティスを避けてやや離れ気味で、フェリオが顔を
背け気味のランティスの顔をわざわざ覗き込んで何やらからかっている風情だった。
「知り合いだったのかしら、変わった取り合わせね…」
「ご両親が学院理事ですし、留学生には気を配られているのかもしれませんね」
球技大会でアスコットとは同じチームだったが、ランティスが特に気にかけていたかどうか
光は記憶になかった。(つーか三兄弟との対決でそれどころじゃなかったっしょ、ランティス…)
「あ、ウミ…!」
手持ち無沙汰だったアスコットが真っ先に海たちに気づいて駆け寄ってきた。
「…そのドレス、素敵だね」
照れて真っ赤になりながら、ようやく海の耳に届くかどうかの小さな声でボソッと言った
アスコットに海が拗ねてみせる。
「あら、素敵なのはドレスだけ?」
「そ、そ、そ、そんなことっ!ウミが素敵なのは当然じゃないかっ!」
自分から振ったものの大きな声でそう言われた海は耳まで真っ赤になり、アスコットの腕を
ぐいぐい引っ張ってエントランスを離れていった。
ランティスで遊ぶのもそこそこに、フェリオが風に歩み寄った。
「フウ…。眼鏡はどうしたんだ?」
「短時間ならワンデータイプのコンタクトレンズを使えるんです。疲れやすいほうなので普段は
眼鏡ですけど。こんな時ぐらいは…」
「そっか。疲れたら無理せず外しちまえよ。今日はちゃんと俺がエスコートするから」
「あら、エスコートしてくださるのは今日だけなのですか?」
少しばかり揚げ足取りな風に、フェリオが目を丸くして、コホンと咳ばらいして真面目な顔を
作った。右手を胸に当て気品溢れる一礼をしたフェリオが、軽く風の手に触れた。
「今日の舞踏会だけでなく、これから貴女をエスコートする栄誉を私にお与え下さいますか、
レディ…」
「もちろんですわ」
極端な身長差がない二人なので、フェリオが差し出した腕に重ねるようにして風がその腕を
委ねる姿がとても自然な感じだった。ぽーっと見とれている光とそんな光を穏やかに見つめる
ランティスを置いて二人が去ると、光が呟いた。
「ちょっと意外…。フェリオって王子様みたいにサマになってたね…」
みたい、ではなく正真正銘某国前国王の第一王子で、現在は第一王位継承権を持つ王弟
殿下と呼ばれる身なのだが、光がその辺りの事情を知っているかどうかが判らないので
ランティスは沈黙を守っていた。
「王子でなくて悪い」
微苦笑のランティスの言葉に、深い意味はないにしろ他の男性に見とれるなんて失礼な
真似をしたと光は焦った。
「そんなこと関係ないよ!私だってお姫様じゃないし、風ちゃんみたいなお嬢様でもないん
だもん」
「……」
超絶口煩い厳しい三人の保護者の鎖付きの(…+両親+親友二人?)箱入り娘ではあるだろうと
思いつつ、一生懸命言い訳する光が可愛くてランティスはそのまま聞いていた。
「なんていうか、せ…、ランティスはランティスのままで私の王子様っていうか、その、特別な
存在で…っ」
可愛らしさのあまりついつい意地の悪い真似をしてしまったが、保護者に見つかる前に
止めておこうとランティスが光の頬にそっと触れた。
「俺にとってもヒカルは特別だ…」
頬がかぁっと熱いのはランティスに触れられたからなのか、それとも『特別だ』と言ってくれた
からなのかと、苦手のワルツを踊る前からもうクラクラしそうだった。
「光、まだこんなとこにいたの?デビュタントは舞踏会の最初に踊るんだよ」
追い抜いていくクラスメイトに、「うん、いま行くから!」と返事をした光にランティスが仕種で
促した。風たちのように腕を重ねることは出来ないが、自分たちは自分たち。
躊躇いがちに光がその二の腕にそっと触れると、慣れない足元の彼女を気遣いながら
ランティスは歩き出した。
「なかなか上手いじゃないか」
「そ、そぉかな?」
「デビュタントとしては上出来だ」
「先輩…じゃなくって…ランティスがリードしてくれてるからだよ」
踊り始めたばかりのときはがちがちに緊張していた光だったが、
ランティスに導かれてステップを踏むうち、柔らかく曲に合わせられる
ようになっていた。
「リボンは少なめだが、悪くなかったな」
「え…?」
「リボンとフリルがいっぱいのドレスを、着てみたかったんだろう?」
「あ…っ。……あの、もしかしてこれ、ランティスが…?」
「見立てだけ、な」
普段和服ばかりで、『ドレスのことは判りませんから、光さんが来ないと
決められませんよ』と
言っていた母が、ダンスの特訓での出来の悪さに打ちひしがれてドレス
選びも渋っていた光をよそにさっさと決めてきたのはそういう訳だったのだ。
「でもどうして…」
「母の舞台衣装の買いつけの荷物持ちに連れ出されてた時、ドレス
ブティックのウインドウを覗いてるお前の母上に出くわしたんだ。たまには
親孝行もしておくもんだな」
小さく肩を竦めたランティスに、両手いっぱい紙袋を持たされてキャロルの
後ろを嫌そうに歩くランティスを想像した光がクスっと笑った。
「こんなにカッコいい息子がいたら、そりゃあ連れ歩きたいんじゃないかな。
エスコートして欲しかったんだよ、きっと」
「俺はお前をエスコートするほうがいい」
くるりとターンする瞬間に耳元でそう囁かれ、真っ赤になった光がバランスを
崩して、顔と同じぐらい真っ赤な靴でランティスの足を踏んづけた。
「ご、ご、ご、ごめんなさいっ」
他の参加者の迷惑にならないように小声で謝る光に、ランティスが苦笑する。
「いや、いまのは俺が悪かった。踊り疲れたんじゃないか?少し休もう」
「うん」
飲み物を取りに行ったランティスからダンスフロアに目を移すと、まだ緊張している面持ちの
アスコットとにこやかな海のペア、ずっと前からパートナーでいるように自然に振舞うフェリオと
風のペアが踊っていた。休んでいる光に気づいた海に小さく手を振り、光はランティスの姿を
探した。
「…クランベリー・スカッシュはどれだ…」
リクエストを聞いたものの、普段甘いものを好まないランティスでは、どれがクランベリー・
スカッシュでどれがグレープ・スカッシュだかも見分けがつかない。赤系のソフト・ドリンクの
充たされたゴブレットを睨んでいるランティスに、ひとつのグラスを取って差し出す男がいた。
「クランベリー・スカッシュはこれだ。光の好きな物ぐらい覚えとけ」
「サトル…」
「あれがお前の見立てたドレスか…。ふうん、似合ってるじゃないか」
「・・・」
「それにしても…、本人が試着もしてないのに、ずいぶんウエストがスリムなシルエットを
選んだもんだな。入らなかったらどうするつもりだったんだ」
特別校舎や球技大会のグラウンドで抱え上げたし、朝のプラットホームや螺旋階段の上で
ウエストあたりに手を回して抱き止めたこともあるのだからそれで見当をつけたのだが、まさか
それを覚に明かすわけにもいかない。
「企業秘密だ…」
「なんだいそりゃ。まあいい。…泣かせたりしたら、レッド・マリーは没収だからな」
ランティスの胸を飾る真紅のレッド・マリーのつぼみの傍を人さし指でビシッと弾くと、ホワイト
グレープジュースのグラスを二つ手にして覚が離れていった。
二つのグラスを手に戻ってきたランティスに光が尋ねた。
「覚兄様と何話してたの?」
「…クランベリー・スカッシュの見分けがつかなくて、『光の好きな物ぐらい覚えとけ』と…」
「グレープ・スカッシュとか似てるものあったもんね。ランティスのはなぁに?」
「アプフェルザフト・ゲシュプリツト…りんごジュースの炭酸割り。ここのはあまり甘くないんだ」
「味見しちゃ、ダメ…?」
「どうぞ」
受け取ったグラスを傾け、一口含んで舌の上で転がすように光が飲み物を吟味し、こくんと
飲み込んだ。
「ホントだ、あんまり甘くなくてスッキリしてる。私も好きだな、これ…」
グラスの縁に微かについてしまったリップグロスを光が拭き取る前に取り上げると、わざわざ
グラスを回して同じ場所にランティスが口をつけた。
「ラ、ラ、ランティスっ!?」
ふたたび真っ赤になった光のくちびるに、『こんなところで騒いでは駄目だ』とばかりに人さし
指をそっと押し当てる。むぐっと押し黙った光の耳元に顔を寄せてランティスが囁きかけた。
「ここでお前のくちびるを奪ったら、あとが怖いからな。このぐらいは許せ」
その人さし指も軽く自分のくちびるにあてたランティスを見て、いつも以上に男っぽい色気に
どきどきするやら、気恥ずかしいやらで、光はあさってのほうを向いてつぶやいていた。
「…んもう…っ。ランティスの…ばか…っ」
そんな二人の姿を見て殴りこみをかけんばかりの優と翔の首根っこを、実行委員会責任者の
立場上やむを得ず覚ががっしり掴んでいたことを、初心者マークつきの恋人たちは知らない…。
2011.5.27up
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なんとか5月に滑り込みセーフ♪
ダンスシーンのイラストは 光:ほたてのほ さま、ランティス:3児の母 さま に
いただきました(≧∇≦)