Die Ouvertüren
薄手の白い長袖Tシャツにストーンウォッシュデニムのオーバーオールというラフな格好の海が庭で花を摘んでいた。
「いらっしゃい!一人で来られたじゃない、えらいえらい♪」
アスコットを出迎えた海の言葉はまるで初めてのおつかいをクリアした小さい子に対する称賛のようだった。マリノの
主治医には実は海より年下だということを伏せておいてくれるように頼んである。タメならともかく、小学五年生に
舞踏会のパートナーを申し込まれても、失笑されるのがオチだと思えるからだ。
「…中学生だしね…」
「でも本当は…」
少し言い淀んだ海に歳をごまかして後ろめたいアスコットがギクリとする。
「な、なに?」
面と向かって≪引きこもり≫とも言えず、遠回しな言葉を選ぶ。
「一人で混んだ電車に乗ったりするの、得意じゃないんでしょう?だから『車で迎えに行きましょうか?』って
聞いたのよ」
そろそろ退院後の検診に行くから そのついでに拾おうかと言ってくれていたのだ。アスコットの自宅に近い
動物病院までマリノを連れて来てくれるなら、わざわざ海の家にお邪魔する理由も無くなるじゃないかと考えて
辞退したのだが、海はそんなところまで配慮してくれていたのかと、密かに感激していた。
「僕の国ってラッシュアワーなんてなかったからさ。けどニッポンで暮らすなら、少しは慣れなきゃいけないし…」
「それでやけに登校が早いのね」
「……どうして知ってるの?」
「『最近教室一番乗りじゃないんだ』っていう光情報と、『フェリオが弓道部に入って朝練にも出てる』っていう
風情報から。ほとんど行き帰り一緒だったのに、いきなり大丈夫?」
「球技大会の練習が入ってから、帰りは別のことも多くなってたし、ぎゅうぎゅう詰めじゃなきゃなんとか…」
「無理してひっくり返らないようにね」
アスコットをサンルームへと案内してリクエストを聞くと、海はお茶の用意をしに出ていった。
たくさんの花が咲き乱れる庭に面したサンルームには陽射しがさんさんと降り注いでいた。暑すぎないのが
不思議なくらいだったが、上部の小窓が換気の為に開けられていた。いっそこのガラス扉を開けたほうが
気持ちのいい風が入るのにと思いつつ、よそ様の家で勝手な振る舞いも出来ない。
「お待たせ〜。マリノ連れて来たわよ」
トレイに飲み物やお菓子を載せて運ぶ海に続いて、仔猫を抱いたすらりと背の高い綺麗な女性が入ってきた。
「あなたがマリノちゃんのパパさん?マスカット君だったかしら…。うちの海ちゃんと仲良くして下さってありがとう」
「もう!ママったら!マスカットじゃなくてアスコットだってば!!」
トレイをティーテーブルに置きつつ、海は自分と同じ間違いをした母にツッコミを入れていた。海ママ・優雅子の
登場に、アスコットはもうフリーズ状態だ。海の自宅にお邪魔するのだから当然シミュレートしておくべき状況で、
いくらかは考えてもいたのだが、予想外にいきなり過ぎて、ゲーム序盤にラスボスに遭遇した勇者見習い(Lv.0)の
気分だった。
「あ…、あのっ、マリノを預かって貰ってありがとうございますっ!」
なんとかかんとかそれだけの言葉を捻り出したが、後が続かない。海は優雅子が抱いていた仔猫を受け取ると、
母親の身体をくるりと反転させて背中を押した。
「どうしたの、海ちゃん?」
「ハイ、もうアスコットの顔を見たから気が済んだでしょ?あの子、すっごく人見知りするたちだから、ママは
遠慮して!」
「そんなに追い立てなくても…。またお話しましょうね、マ……アスコット君」
優雅子をサンルームから押し出してドアを閉めると、まだ放心状態のアスコットの目線までマリノを持ち上げた。
「そんなにぼけっとしてると、マリノに猫キックさせちゃうわよ」
猫キックを連発する脚力はまだないが、抱き上げられて突っ張った後ろ脚の爪がアスコットの鼻の頭を
引っ掻いた。
「いてっ!」
「あっ!近すぎた?ゴメンゴメン」
アスコットにマリノを手渡すと、海は壁際に作りつけられた棚から救急箱を持ち出してきた。
「座って、アスコット」
消毒薬や脱脂綿を用意しながらそう言った海に、アスコットが慌てていた。
「平気だよ、これぐらい。ほっとけば治るから」
「ダーメ!仔猫の爪って細いから、意外と傷が深かったりするのよ。ちゃんと消毒しなくちゃ。猫引っ掻き病の
経験者が言うんだから、聞いてなさい」
「う、うん…」
ピンセットで摘んだ脱脂綿を消毒薬で浸して、
海がアスコットの鼻をポンポンと叩いた。
「なかなか止まらないわね。ビタミンK不足
じゃない?」
「ビタミンK?…さぁ……。そのうち止まるよ」
「んー…。あ、これ貼っておきましょ」
可愛らしい紙箱から出した一枚を開封して、
アスコットの鼻の頭にペタッと絆創膏を貼りつけた。
目を寄せてみても近すぎてよく解らないが、無地
タイプではない派手な色合いがちらついている。
「あ、あのさ、これ、なんかのキャラ物?さすがに
ちょっと恥ずかしい…かも」
「いいじゃない。見てるのは私とマリノだけなんですもの。
帰る前に剥がせばいいのよ」
帰り道も確かに恥ずかしいものがあるが、この顔で舞踏会に
誘うなんてのは、どうにもしまらないように思えた。 illustrated by ほたてのほ さま
悶々としているアスコットを放置して、海はティーカップに
ミルクティーを用意していた。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
想い焦がれた海と差し向かいで、手ずからいれてくれたミルクティーを飲むなんて夢のようだった。 レース
ペーパーを敷かれた皿には、様々なクッキーやスコーン等が並んでいる。
「これ…全部ウミが作ったの?」
「スコーンはママよ。クッキーとパウンドケーキは私。ペイザンにはまだ挑戦出来てないから、パウンドケーキを
ナッツとドライフルーツ増量にしてあるわ。ふふっ、ちょっと自信作なのよね」
楽しげに笑う海を見ているだけで胸が一杯のアスコットだが、自信作だと勧められたら手をのばさない訳には
いかない。
「じゃあパウンドケーキから貰おうかな」
「そうこなくっちゃ」
食べ盛りな男の子向けに、いつも光に取り分けてやるぐらいのボリュームでパウンドケーキを取り皿に盛る。
「大胆な切り方だね」
「そう?光がいつもこれぐらいぺろっと食べちゃうのよ。運動量が多いせいかちっとも太らないし、まったく
うらやましいったら…」
「僕は……ウミのほうがずっと…綺麗だと思うな」
人見知りなアスコットがなんとなく光と話しやすいのは、クラスの少年たちほど男っぽくなく、少女たちほど
女らしくない言葉遣いや立ち居振る舞いの醸し出す不思議な雰囲気に負うところが大きい。動物好きである
点も共感しやすいポイントだったかもしれない。クラスメイトとしては馴染んだが、≪特別な好き≫とは全然
違っていた。
聞き慣れている言葉とはいえ、面と向かって『綺麗だ』と言われれば悪い気はしない。
「そぉんなこと言ったって、パウンドケーキにホイップクリームのトッピングがつく程度よ」
「別にそんなつもりじゃないよ。本当のことなんだから…」
言ってるうちに恥ずかしさが込み上げてきたアスコットは、黙々とパウンドケーキを口に運んだ。一口食べて
もぐもぐと咀嚼したアスコットが少し不思議そうな顔になる。いま自分が感じたものが何だったのか確かめる
ために、二口、三口とパウンドケーキを口に運んでいた。
「すごく懐かしい味がする…。ウミのお手製パウンドケーキは初めてなのに…」
マリノのお見舞いがてらに持ってきてくれた中にはパウンドケーキはなかった。マドゥレーヌも美味しかったのだが、
だからといって懐かしさを感じるようなことはなかった。
「懐かしい?んふふっ、さて何のお味でしょう?」
仕掛けたいたずらに気づいてくれたアスコットに、海はしてやったりという笑顔を浮かべていた。
「・・・・・判った!干しプラグだ!!」
「ピンポーン♪正解だからもう一切れどうぞ」
フェリオに引き摺られるようにして輸入食品を多く扱う店に連れて行かれもしたが、彼らの故国セフィーロは
知名度が低すぎるのか、その特産品など見当たらなかったのだ。
「干しプラグなんて、よく手に入ったね…」
「プラグだけじゃないわ。ブイテックもあるのよ。干したのやマーマレードやらね。日本ではうちのパパの
会社だけじゃないかしら、輸入してるの…。大量流通じゃないからネット通販しかしてないけどね。アスコットが
セフィーロ出身だって聞いたから、パパにおねだりして分けて貰ったの」
「ネット通販…それは探さなかったな」
「生は無理だから加工品ばかりだけどね。無添加にこだわってるし、美味しいから密かに売れ筋なの。
『ブイテックがすっごく美味しかったから絶対日本でも売れる!』ってパパに勧めた私としてはちょっと鼻が
高いのよね。ふふっ」
「そうなんだ…」
「私、小さい頃にセフィーロに行ったことがあるの。その時にごちそうしてもらったブイテックがすごく美味しくて…」
『知ってる。その時、ウミに逢ってるんだ』
セフィーロ滞在時の想い出を語る海に喉までそんな言葉が出かかったものの、いじめっ子から助けてもらったという
あのシチュエーションでは情けなすぎて、ますます舞踏会のパートナーなんて申し込みづらくなりそうだった。
海自身が思い出してしまったなら嘘をつくこともないが、それまでは黙っておこうと決めてアスコットは持参した
小さな紙袋を海に差し出した。
「アロマテラピーとかって興味あるかな…?セフィーロの特産品なんだけど、マリノがお世話になってるお礼に、
これ…」
「そんなの気にしなくてよかったのに…」
そういいつつも持参してくれたものを遠慮するのも失礼と、海は素直に受け取っていた。
「開けてもいい?」
「も、もちろん!!」
テーブルの上でラッピングを解いた海が、紙箱を開いて目を丸くしていた。
「エッセンシャルオイルよね…≪リアナ≫、≪アイシス≫、≪エリオ≫・・すっごーい、ホントにこんなの
貰っていいの!?しかも三種類ともなんて!!」
「え・・・?」
「昔、セフィーロに行ったのって、パパがこれの買い付けをしようとしてたのよ。でも『生産量が極僅かだから
王室直轄で管理してる』って断られちゃったっていうのに・・・」
そんな大層な代物だったのかとドキドキしつつ、フェリオがどこまで明かしているかも確かめていないので、
アスコットは言葉を濁すことにした。
「王室ったって、すごく小さな国の話だしさ。ちょっと出入りしてるから、うち。そのツテで貰ったんだと思うよ。
僕んちに置いてても使わないし、ウミに使ってもらえれば……」
「それじゃ遠慮なく♪わぁ、効能とレシピまでつけてくれたのね」
「原文がセフィーロ語だから、ちゃんと日本語になってる自信がないんだけど…。何か疑問があったらうちの
専門家に聞くから」
「ええ、ありがとう」
海とアスコットが話し込んでいるうちに、構ってもらえないマリノがこっそりテーブルに上がりパウンドケーキに
ちょいちょいと前脚でちょっかいをかけていた。
「こぉら、マリノっっ!テーブルに上がっちゃダメっっ!!」
「ごっ、ごめんっっ!」
さっとマリノを両手で抱え上げた海に、反射的にアスコットが謝っていた。
「変なアスコット。どうしてあなたが謝るのよ」
「あ、いや、だって、うちの猫の躾けが悪いんだから…」
「うちの猫ったって、アスコットは拾っただけじゃない。病院では治療だけだったんだし、トイレや他のいろんなこと
躾けるのはこれからでしょ?マリノ、テーブルはダメよ!それにケーキもダ〜メ!!」
叱ったあとはスキンシップとばかりに仔猫を抱きしめた海を、なんとも言い難い表情のアスコットが見つめていた。
まだ爪を自在に鞘に仕舞うことの出来ない仔猫は、爪を引っ掛けつつ海のオーバーオールをよたよたとよじ登ると
胸元に潜り込んだ。
「きゃーっ、マリノったら!!こら!!」
「マ、マリノ!?・・・・あ、マズっ」
流れ落ちる感覚に焦ったアスコットが、上を向いて鼻を押さえたままポケットのハンカチをまさぐっている。それに
気づいた海がティッシュペーパーを数枚手に取ると、慌ててアスコットに手渡した。
「大丈夫・・・?換気はしてるけど、暑くてのぼせたのかしら…」
「ごめん・・・・・。鼻の粘膜が弱いんだ、多分」
「やっぱりビタミンK足りないんじゃない?日本食の納豆がいいのよ。あとは緑黄色野菜でしょ…」
マリノがあんまりにも羨ましかっただなんて、口が裂けても言える訳がない…。絆創膏だけでも充分カッコ悪かったのに
これではいっそうザマがないと、舞踏会のパートナーの申し込みを今日は断念せざるを得ないアスコットだった・・・。
2011.5.15up
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五月中に公開予定の本編のほうでは
ラン光のお誘いしか書かなかったなぁ・・・と思い
フェ風&アス海バージョンを書いてみたのですが
結局ちゃんと誘えてねーっっっ!! orz
ま、私がやることなんてそんなものサ ┐('〜`;)┌ ←居直るな??
≪春咲小紅≫の前から、プレ舞踏会シーズンの頃のお話でした
ほたてのほ さまにいただいたイメージイラストにあわせて、一部改稿しました 2011.5.23