Misunderstandings
こんな風に大型書店に足を踏み入れるのは大学時代以来だろうかと、覚は店内案内図を
見ながら考えていた。
たいていのことなら近隣商店街の書店で事足りる。同じ町内で商売をする者として、ネット
購入よりそちらを利用するように心がけていたが、生憎今度の探し物は需要が限られている
せいか品揃えが薄かった。覚としても実物を見ないことには良し悪しが判らないので取り寄せ
という訳にもいかず、数多く置いていそうな大型書店へとやってきたのだった。
「この辺の筈…、これはまた・・・」
1.5メートル幅の書架三段分にずらりと並ぶその手の本の豊富さに、逆に軽い頭痛を覚え
そうだった。
ここより遥かな地に住まう者のたっての頼みだ。いい加減なことは出来ない。ましてやそれは
覚にとっても他人事ではないのだから。
すべての本に目を通す覚悟をして、覚はまず上段左端に在るものへと手を伸ばした。
ぱらぱらとページをめくり、読みやすさや探しやすさを覚なりに確かめていく。これはと思う物を、
平積みのケース入りの分厚い書籍の上に取り置いていた。
一段分見終わったところで、積み置きした分から二、三冊を選んで残りを書架に戻すという
作業を繰り返し、三段目にとりかかろうとした時、覚に声をかける者がいた。
「お久しぶりです」
女性の知り合いといえば同窓生か道場に通う子供達の母親ぐらいなものの覚にとって、凛とした
気品漂うその声の持ち主は忘れようがなかった。
「鳳凰寺さん…。妹さんにはいつも光がお世話になってます」
「いいえ、こちらのほうこそ。東京タワーの展望台にスーツケースを運んでいただいて以来でした
かしら。直接お目にかかるのは……」
「そうですね。龍咲さんが両家に寄るだけの時間がない時に、電話で近況報告を伝言する
ばかりで…。ご無礼しています」
軽く頭を下げた覚の手にある本と、数冊積み上げられた本を見て、鳳凰寺空は柔らかく微笑んだ。
「まぁ…。おめでとうございます。お父様におなりなんですね」
「・・・は・・・? あ、いやっ、これは」
らしくもなく狼狽して落っことしかけた売り物の本に空が両手を差し延べ、その空の手ごと覚が
がっしりと掴んでいた。ほっそりとした空の指に、竹刀を手にすることに馴れた覚の武骨な指が絡んだ。
「失礼…!」
きちんと本を持ち直した覚は、想像以上にすべらかな感触に心拍数が跳ね上がる思いがした。
「いえ…。私のほうこそ立ち入ったことを申し上げてしまいましたわ」
光の兄たちが結婚したという話を風から聞いた記憶はなかった。いつ結婚してもおかしくない
年齢の覚にそういうお相手がいて、式より先に授かったということなのかもしれない。いまどき
そう珍しいことでもない。
「…誤解です、鳳凰寺さん。おとうとに頼まれたんですよ…。こういう本屋のないところに住んでいる、
義理の弟にね」
「そうだったんですか。私ったら…」
伏し目がちにくすりと笑うので、睫毛の長さが際立って見える。
「夏には『伯父さん』と呼ばれる立場になるようです。まあ…、顔を合わせることは叶わないのかも
しれませんが」
「私なんてもう三年も『伯母』と呼ばれる立場ですわ。写真とムービーでしか知りませんけれど…」
彼らの妹たちは遠き異国、いや異世界に嫁いでいったので里帰りも間遠かった。彼女らの親友で
ある龍咲海が連絡役を買って出てくれているのに甘えているような有様だ。それですら『連絡を
取りたい時にいつでも』とはいかないが。
「『光さんに内密で』と書き添えられていましたから、申し訳ないけれど風さんには…」
「はい。…姪の…フェリツィアさんの日本名は父が考えましたけど、ランティスさんはご自分で考える
おつもりなんですね」
「あちらに嫁いだんだし、無理に日本にこだわることもないと思うけれど…」
「こだわるというよりは…、故郷に繋がるなにかを形にしてあげたいと思ってらっしゃるんじゃ
ありませんか。フェリオさんも『もう身寄りもない自分のほうが東京に行ければよかったのに』って
おっしゃってたみたいですし…」
その願いを叶えることができなかったから、彼らの妹たちは遥かな地へと旅立ち、あちらに根を
下ろそうとしているのだ。
「遠いところですね…」
子供を授かる前は光自身が年に一、二度帰省していたが、見せてくれるスナップに写る景色や
人々は時にお伽話から切り取ったような雰囲気を見せていた。こちらと変わりない服装もなくはない
ようだか、義弟のランティスの格好はロールプレイングゲームかファンタジー世界のキャラクターの
ようだった。
光も何かの折に盛装すると、こちらの世界では学芸会でも着なかったようなひらひらとしたドレスを
着こなしていた。男の子っぽい話し方は相変わらずだが、いつの間にかああいう物を自然に纏うように
なっていた妹は、本当に遠い存在になっていた。
「寂しくていらっしゃるんですね」
「それはまあ…。うちには賑やかなのがまだいますが、二人姉妹だったの鳳凰寺さんのほうが
ずっと寂しいんじゃありませんか?」
「どうぞ空とお呼びになって」
「え?いや、しかし…」
妙齢の女性を名前で呼ぶような経験が親戚筋以外になかった覚が躊躇うと、空がにこりと笑みを
浮かべた。
「私も覚さんとお呼びしますから。それに・・」
ほんの少し伸び上がると、空は声のトーンを落として覚に囁いた。
「あまり多くない苗字なので、少し……」
鳳凰寺家は旧家として名が通っている。覚がそれとなく周りを確かめると、学生バイトなどではなく
管理職クラスの書店員がちらちらとこちらを窺っている。
「申し訳ない。僕の配慮が足りなかったな。責任を持って安全なところまでお送りしますから」
声を潜めて真顔でそう言った覚に、空がくすくす笑い出す。
「そういう心配をしている訳ではありませんわ。父が筆頭株主なので、そのせいかと…。突然
『顔繋ぎ』だとかをお願いされて困ってしまうことが多くて…」
「なるほど。大変ですね」
「このまましばらくご一緒しても構いませんか?一人になるとこちらにいらっしゃりそうなご様子
ですから」
「僕のほうは一向に。だけど不味いかな…」
ふと思案顔になった覚を、小首を傾げた空が見上げる。
「見ている物がこれでは、あらぬ誤解を受けるかもしれない」
「さっきの私のように、ですね」
しとやかで物静かな印象の強かった空がくすくすと楽しげに笑っているのは、意外でもあり
好ましくもあった。
「空さんのお目当ての本は見つかったんですか?まだならそちらのほうを一緒に見ましょう」
「下の子が生まれて寂しがってるフェリツィアさんに絵本でもと思ってたんです。でも名付け事典は
ランティスさんがお待ちなんですもの。海さんもご結婚されましたし、行き来なさってる間に渡して
差し上げませんと…。私もお探ししますわ」
同じように一冊手に取って真剣に名づけ本を吟味するその姿は、知らない人から見れば子供が
産まれてくるのを心待ちにしている若夫婦のようだった。
web拍手より一部改稿して再録
2012.10.20 up
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タイトルは小林明子さんの歌から。
内容は・・・あんまり関係ないんですが
結構好きだったので。
続きのネタもなくはないんですが、いまはちょっと手一杯なので、またそのうちに・・。
2011年風誕協賛作品 未来予想図−Fuu− と welcoming morning の間のお話になります
ラン光サイトなのに覚&空で書いてるってどうなの、私・・・