Heavenly Starry Night    ・‥…━━━☆

 

 手早くシャワーを浴びて、頭と身体にタオルを巻きつけただけの格好で、光はクローゼットを物色していた。

 「もっとお出かけ向きの服も持ってきとけばよかったかなぁ…。これにしようっと」

 選んだ服をベッドに放り出し、吸水性のいいヘアドライ用のタオルでわさわさと髪を乾かし始める。肩までの風は

ともかく、髪の長い海や光はドライヤーが使えないことには少々不自由さを感じていた。

 「ま、夏だし、だいたいでも乾くよね・・」

 袖口にリボンがあしらわれた白い大振りなパフスリーブのブラウスに、赤地に大輪の白い花をたくさん散らした

薄手のコットンのジャンパースカートを着こんで、鏡の前でひと通り確認すると、光は大慌てで中庭へと飛び出して

いった。

 

 

  お気に入りの中庭の噴水の縁に腰掛けるランティスの肩に、夜ふかしな小鳥が戯れていた。駆けて来る気配に

ランティスが小さく笑う。

 「慌てなくていいと言っておいたんだがな…」

 ランティスの肩から指に飛んできた小鳥がその言葉に返事をするようにチチッと啼いた。

 「ランティス、お待たせっ!」

 その声と同時に、小鳥が飛び立ちやすいようにほんの少し勢いをつけてランティスが腕を伸ばす。飛び立つ小鳥を

見送って光を見遣ったランティスは、しばし言葉を失っていた。

 「どうかした?」

 「…髪を下ろしてるんだな」

 「この方が早く乾くし……。変、かな?」

 「いや…」

 ランティスは心配そうな光の頬にそっと触れた。いつも三つ編みのおさげを揺らしているか、カルディナたちに

遊ばれて結い上げているかだったので、髪を解いている姿はここで初めて二人きりで話したあの夜以来だった。

光はそれを覚えていないのかもしれないが――。忘れられるものならば忘れていたほうがいい。もう二度と、あんな

哀しくて苦しくて仕方がないという顔をさせることのないように、他の誰でもない自分の手で護ってゆきたかった。

 「ランティス…?」

 目の前に立つ少女に心の中で誓い、ランティスは立ち上がった。

 「出かけようか」

 「…うんっ!」

 

 

  いつものバルコニーからランティスの精獣で夜空に飛び立つ。東京に比べて遥かに星がたくさん見えるセフィーロ

だが、ミレーニア彗星のもたらす流星群ですぐに両手の指で足りなくなるほどの星が流れていった。

 「こんなにいっぱい流れ星見たの初めてだ…。地球でもしし座流星群とか、流れ星がたくさん降る時期はあるんだ

けどこれほどじゃないよ。それに彗星もずいぶん大きく見えるんだね」

 「文献に残る限りの範囲で言えば、セフィーロに接近する彗星の規模としてはミレーニアが最大だ。ヒカルは運が

いいな」

 「私だけじゃないよ。いまこのセフィーロにいるみんなが幸運だから、あれを見られたんだと思うな」

 このいつでも明るく前向きな考え方が消滅寸前のセフィーロに、そして希望なんかどこにもないと思っていた自分

に新しい未来をもたらしてくれたのだと思うと、ランティスは腕の中の少女が愛おしくてならなかった。

 「…少し飛ばすぞ。しっかり掴まっていろ」

 「『とっておきの場所』って、フェリオたちが言ってた丘のことじゃないの?」

 「違う。ずっと北にあるティターニアの森だ」

 「ふぅん」

 どのぐらい北へ行くのか判らないが、空を駆けるのにお風呂上りで半袖は失敗だったかもとちらりと考えていた

光を、ランティスはふわりとマントで覆いこんだ。

 「少し寒かったか?」

 「うん。ありがと、ランティス」

 受け取ったマントの端を右手でしっかりと握りしめながら、光は「ふふっ、あったかい」と甘えるようにランティスの

胸にもたれかかり、左腕を背中に回して掴まった。身体をすっぽりと覆いこんだせいで、湯上りの甘い香りが鼻腔を

くすぐりランティスはどきりとさせられていた。

 

 

 下界に灯りらしい灯りもないのによくランティスは迷わないなと思っていた光の視界を、うっすら緑の小さなひかり

が横切って不意に消えた。

 「あれ…?いまなんか飛んでった?」

 「ヒカル」

 「なに?」

 「しばらく目を閉じていてほしいんだが。俺がいいと言うまで」

 「どうして?」

 きょとんとして見上げた光にランティスは少し笑うだけで理由を答えない。

 「どうしても。――いやか?」

 「んー、わかった。開けてもよくなったら教えて」

 「ああ」

 お腹もいっぱいだし、広い胸はもたれ心地がいいし、マントに包まれて暖かいし、このうえ目を瞑ったりしたら

寝ちゃいそうだなと思いながら、光はきゅっと目を閉じていた。

 

 

  目を閉じていても意外にいろいろなことが判る。風の中に、少し木々の葉の香りが混じってきた。そして滝に

近づいたときのような水の匂い。空を駆けていたエクウスが徐々に高度を下げているのも判る。

 『もうすぐ、かな…?』

 口を閉じていろとは言われなかったのに、何故か光は黙り込んでしまっていた。光の予想通りエクウスはカツンと

大地に降り立って数歩歩いて立ち止まった。

 「ティターニアの森に着いたの?」

 「ああ、まだ目は開けるな」

 「はーい」

 もたれかかっていた光を一旦しゃんと座らせ、ランティスは先に精獣から降り、光をお姫様抱っこでかかえ下ろす。

目を閉じたままの光の耳に、水面を魚が跳ねるような微かな水音が聞こえていた。

 「もう開けてもいいぞ」

 ゆっくりと目を開けた光は自分がどこにいるのか解らなくなりそうだった。満天の星が零れ落ちてくる空が目の前

にも広がっていた。満月ほどにも明るいミレーニア彗星と流星が鏡のように静かな湖の水面に映りこみ、周りには

さっき見た小さな緑のひかりが灯ったり消えたりしながら舞っていた。

 「周りに飛んでいるのはほたる…な訳ないよね」

 「スターレットというこの辺りにしかいない生き物だ。星のかけらとも呼ばれている」

 光はすっと両腕を空へと伸ばした。星のしずくが注がれるのを待っているカクテルグラスのような姿で、飽きること

なく空を見上げていた。

 「こんな景色、きっと二度と見られないよ…。連れてきてくれてありがとう、ランティス」

 「…待っているのは、こんなものじゃないんだがな」

 「……え?」

 いま目にしている光景だけでも充分幻想的なのに、ランティスは何を待っているのだろうと思いながら、そろそろ

腕を上げていることにも疲れた光が苦笑した。

 「さすがに手の中には落ちてこないよね」

 「ヒカル、うしろだ」

 左肩をぐいっと引っ張られてよろけたヒカルの身体を背後からしっかり支えて、ランティスが向き直らせた。

 「オーロラだ。これは城の近くでは見られないからな」

 「うわぁっ、生でオーロラ見たの初めてだぁ!!……あれ?セフィーロでもオーロラって言うんだ?」

 「チキュウでもそう呼ぶんだな」

 「うん!でも東京ではまず見られないから、自分の目で直接見ることなんて一生ないと思ってた…。本当に

ありがとう」

 長く尾を曳く彗星と、揺らめきながらさまざまに色を変えるオーロラと、流れては消える星の競演を飽かず仰ぎ

見る光の身体に腕を回してランティスはぐっと引き寄せた。

 「きゃぁ!」

 ランティスは胡坐を組んで座り込んだ脚の上に光を座らせた。ばさりと風をはらんだマントが広がる。

 「そんなに上ばかり向いてると首が痛くなるぞ」

 「でも、重いのに悪いよ…」

 「重くない」

 「えへへっ、特等席だね」

 光はまた星々を受け止めるかのように、空にたなびくオーロラのヴェールを掴まえようとするかのように両手を掲げ

ていた。スターレットや人にはあまり近づきたがらないいにしえの種族の妖精までが光の周りに集まってきていた。

幾度かこの森に足を踏み入れたランティスでさえ、これほどまでに近づかれたことはなかった。ここにいる少女が

何者なのかをあれらが知っているからなのだろうか。そんな考えを心の奥に仕舞い込み、シャラっと小さな音を立て

ランティスは光の左手首をそっと掴んだ。

 「にゃ?何してるの?」                       

 光の問いに答えないまま、ランティスの両手は光の左手首に     

何かをつけるような仕草をしていた。ランティスの大きな手が離れたとき、

光の手首には星の石をあしらったブレスレットが煌めいていた。                

              

 「17歳の誕生日祝いだ。優勝の祝いも兼ねることになったな」               

 「そ、そんなの悪いよっ!私、ここに連れてきてもらっただけで                 

充分なのに!」

 「それを俺が使えるとでも思うか?」

 「…ちょっと、無理そう。素直にもらっとくね。今日はランティスに

いくつありがとうって言っても言い足りないや。……くくくっ」

 突然くっくと笑い出した光に、不思議そうにランティスが問いかけた。

 「どうした?」

 「これ、ランティスが自分で選んでくれたの?」

 「………好みじゃなかったか?」

 少し気まずそうなランティスに、光は目いっぱい首を横に振っていた。

 「違う、違うっ!すっごく素敵だよ!ただこういう物のお店に行くの、苦手なタイプじゃないかなと思ったから…」

 確かに大いに苦手で、もう当分はやりたくないとも思っていた。それでも、たとえ恋人と呼べなくとも、愛しく想う者

への贈り物を他人任せにするような真似はしたくなかった。

 「ヒカルに贈る物は、自分で選びたかったからな」

 恋愛ごと天然系娘の光に、ランティスの言葉はものの見事にスルーされてしまっていた。

 「そうなんだ。えへっ、流れ星ひとつ、拾っちゃった気分だ」

 小さく笑いながら左手を上げてブレスレットを彗星に重ね、光はランティスの胸にもたれかかる。光が空を見上げ

やすいようにとランティスは後ろに手をついて少し身体をそらしながら、気づかれないように小さなため息を零した。

 「…そういえば…、降る星が消えるまでに願い事を唱えるといつか叶うとプレセアが話していたな。何か願い事は

あるか?」

 「それって、地球と同じだね。願い事、願い事・・・願い事…。最初に考えてたのは、海ちゃんに頼んじゃったし…。

うーん、終わったばっかりなんだけど、やっぱりここは欲張りに…、『インターハイ三連覇できますように!』かな…。

……ランティスは?』

 こんな状況だというのに、光はとことん色気もそっけもなかった。いったいどう言えば伝わるだろうかと、ランティス

はこの期に及んで考え込まざるをえなかった。いつかイーグルが言っていたように、誤解される余地がないように

ストレートに言うのが一番なんだろうかと、深呼吸をひとつして、言いたいことを頭の中で整理しなおした。

 「――ヒカル、俺はお前が好きだ。いますぐとは言わない。お前が大人になったらケッコンして、ずっと一緒に

暮らしていけたらと思っている」

 「………う、ん……」

 出逢ってから三年近く経ってようやく想いを届けられたと思っていたら、光はすやすやと至極心地よさげな寝息を

たてていた。貰えたと思ったYESは、猛暑の中での連戦で疲れてぐっすり寝入ってしまった光の寝言だった。

 「道理で少し重くなった筈だな…」

 これ以上は望めないシチュエーションでありながら空振りに終わったことにがっくりと落胆しながらも、すっかり

委ねきった顔で眠る光をランティスはそっと抱きしめていた。

 

 

 

                                                 2010.6.12

 

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ミレーニア彗星…千年周期でセフィーロにやってくる彗星(1000年女王みたいですね・汗)マツダミレーニアより。

ティターニア(タイタンの娘の意)の森…マツダタイタン(小型トラック)からひねり。

エクウス…ランティスの黒い馬のような精獣に光がつけた名前。ヒュンダイエクウスより。

スターレット…蛍に似た生物。トヨタスターレット(もともとは「小さな星」の意味)より。

オーロラ…地球のオーロラと同じ。ゼネラルモーターズのオールズモビル・ディビジョンで製造された乗用車より。

 

光ちゃんがお出かけのときに着ていたのは、イラスト集2にある、’95年なかよし9月号の表紙を飾ったやつです。

 

   このページの壁紙とブレスレットのイラストはさまよりお借りしています