Traveling Stone 《旅の石》
「……。んん…っ。もう…やぁだ、くすぐったいよ…」
少し舌っ足らずな感じで光がつぶやく。
晴れた日のセフィーロの空色の瞳を持つ男はそんな赤毛の娘を僅かに眉根を
寄せて見詰めていた。
何度かぺろりと頬を甜められ、うにゃあとうるさげに手で押しやろうと
するが、その手も躱(かわ)され、されるがままにくちびるさえ奪われている。
「んもう、そんなの……だめだってば、ランティス」
ボキッ!
窓辺に置いた椅子に掛けて家族の肖像を仕上げていたランティスの手が硬い
コンテをへし折っていた。
折れてしまったそれを不埒なカリブに投げつけたい衝動に駆られたが、
跳ねると角度的に光にも当たってしまいそうだと諦めたランティスがそれを
握りしめていた。
「んん…。お布団ばさばさしちゃダメだよ、ランティス……」
カリブの羽ばたきに頬をペシペシと軽くはたかれている光は、ランティスが
やっているものと勘違いしてるらしい。自分の寝言でふわふわとした微睡みから
引き摺り出された光のとろんとした目が、ひどく近すぎるところにいるものを
ぼんやり捉えていた。
「う…にゃ…?」
さっきまでランティスに何かを言っていた気もするが、目の前に居るそれは
どう見てもランティスには見えない。こういう物に変化する魔法でも習得したのか、
はたまた光が知らなかっただけで実はドラゴンだったのだろうかなどとぼんやり
考えているうちに、またペロリとくちびるから鼻の頭を甜められ一気に眠気が
吹っ飛んだ。
「わぁ!」
ガバッと跳ね起きた光の耳に、起き抜けに聞くことのない声が響く。
「…目が覚めたか?」
「ランティス?……あ、そっか。一緒に異世界に連れてこられてたんだっけ。
それでこのコ、拾ったんだったよね…。えっと、その…おはよう」
抱えたままの枕と寝間着姿がどうにも気恥ずかしく、口ごもりながらそう言った
光にランティスが答えた。
「顔を洗って着替えるといい。すっきりするだろう」
「う、うん。行ってくる」
ベッド脇のローチェストの上に畳んで置いてあった制服を抱えてパタパタと光が
出て行くと、ついて行きそびれたカリブが閉められたドアに鼻先をぶつけていた。
「ふん……ヒカルに狼藉を働いた罰だ……」
ランティスが大人げないつぶやきをもらす。なんのことはない、ベッドで眠って
いた時、さんざっぱらカリブに甜められてさっきの光同様あらぬ勘違いをさせられて
いたのだ。先に起きたのが光のほうでなくて良かったとランティスは心底胸を撫で
下ろしていた。夢の中そのままに口走っていたらと思うと、なかなかぞっとしない
ものがある。
光が戻るのを待ちながら、あと二家族の肖像を片付けながらカリブの調教も進め
なければならないが、どう仕込んだものだろうかとランティスは思い巡らせていた。
ランティスが招喚する精獣であるフェラーリ《跳ね馬》エクウスは遥か長い時を
超えてきたもので、人の言葉を解する。だから特にランティス自身が調教する
必要もなかったのだ。
「食べ物で釣るしかないか…」
あとはあれがどの程度の距離を飛べるかが問題だ。ポルテからこのフォレスターの
ある絶海の孤島まで相当な距離があったし、真夜中だったので定かではないものの
目ぼしい陸地も無かったことから、海の上で浮かんで羽を休められるような身体構造
なのかも気にかかるところだ。
着替えを済ませた光がひょこりとドアから覗いた。
「朝ごはんの用意が出来たってジーノが呼んでるよ。行こう」
ランティスが立ち上がると、パタパタ飛んできたカリブが肩にとまって収まった。
「私の肩よりとまりやすそうだよね、やっぱり。ランティスのほうがカリブ遣いに
見えるよ」
「本職ほど言い聞かせられればいいがな」
「大丈夫だよ、なんとかなるって」
根拠など特に無いのだろうが、光がそういうと上手くいきそうな気がした。
NEXT
(続く)
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ジーノ…ダイハツミラジーノより。
カリブ…トヨタスプリンターカリブより。カリブはトナカイの意味。
フォレスター…ジーノたちがくらす集落。スバルフォレスターより。